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  私はそこで我に返って、憂鬱なもの思いを振り切ろうと自分の頬を叩くと、ようやくワープロソフトを立ち上げた。
 それから昨日書いた部分をざっと斜め読みして、プロットを書きとめていた手書きのノートと見比べる。そうしてみると、次に書くべきことは決まっていたつもりだったが、どうも続く場面の流れが唐突なように思えた。間に少し主人公の回想を足して話を繋ごうかと、私は迷い迷い構想になかったシーンを書き足すことにした。
 だが、思いつくままに書き出そうとしてみても、筆はなかなか進まない。昨日はあれだけ筆がのって、次から次に胸の中から言葉が溢れてくるようだったのに、一晩経てばまるで遠い夢のようだった。
 私はそのシーンの出だしを何度も書きかけては消して、ああでもないこうでもないと首を捻った。『彼はその頃のことはほとんど覚えていないが、霞がかった記憶の向こう、微かに』と打ちかけて、いやいやこの表現では後の場面と矛盾すると、また消して頭から書き始める。そんな具合で、一向に先に進まない。
『――彼はその幼い日の出来事を、まるで録画された映像をスローモーションで流すように、寸分違わず思い出すことができた。』
 迷い迷いそんな文章を打った私は、ふとそこから娘のことを連想した。
 利恵は当時、事故の状況をどの程度認識していたのだろうか。そして、その後どのくらいの記憶を引きずっていたのだろうか。
 事故のあった当日、私が病院に駆けつけたときには、娘は妻の足元で何かに怯えて泣いていたが、事故そのものが怖かったのか、それとも大人たちの深刻そうな様子から何かを感じて怯えていたのかは分からなかった。ただ、少なくとも小学校に上がったばかりの子どもには、死というものの正体を明確には理解できていなかったようだった。
 ただ、その一件があってから、利恵は時おり怖い夢を見て夜中に目を覚ますようになった。それはそう頻繁なことではなかったが、その頃はまだ親子三人川の字で並んで寝ていたから、妻も私も夜中に何度も目を覚ましては、利恵が魘されていないか確かめて、その度に安堵の息を吐いた。
 私たち家族は事故から二か月が過ぎる頃、当時住んでいたアパートを引き払い住居を移した。
 学区が変わったため、娘は一年生の二学期からという中途半端な時期に転校させることになってしまった。だが、それで良かったのだと、私たちは今でも思っている。
 事故で亡くなった堀井君の家と、事故当時の私たちの住居は、すぐ目と鼻の先だった。近所の同情と言う名の好奇の目、交わされる噂話の中に見え隠れする、悪気のない無意識の非難。大人だけであれば、そういったものも受け止めていく覚悟はあったが、当然というべきか、娘の通っていた小学校にもすっかりこの話は広がっていた。子ども特有の残酷さで利恵が苛められることを、あるいは同情され続けることを、私たちは恐れた。
 住居を移した後も、妻は毎年利恵を連れて堀井君の命日に彼の生家を訪ねた。私も最初の二年ほどは一緒に行ったが、毎年その日に仕事を休むこともできず、やがて私は私で仕事の帰りに墓前に参ることで代えるようになった。
 私たちは堀井君に済まないと思う反面、娘には、亡くなった彼の分も生きて幸せになってほしいと、そうも思っていた。だから娘にも何度も言って聞かせた。「お前はちゃんとした大人にならないといけない、助けてくれたお兄ちゃんの分まで生きて、幸せにならないといけないんだよ」と。

 利恵が小学校六年生になった年のことだった。例年通り娘を連れて堀井家を訪ね仏壇に手を合わせて帰ってきた妻は、私が帰宅したとき、暗い部屋の中で一人、ひどく苦しげに泣いていた。
 驚いた私が宥めながら話を聞きだすと、どうやら相手方の母親が、妻にもう来ないでくれと言ったらしかった。利恵の顔を見る度に、この子さえいなければうちの勇は死ななかったと考えてしまう、もう忘れて幸せになってくださいと言うべきだけれど、どうしてもそんな風に思えない、それが辛いと。
 そう言う親の気持ちは、私たちにも充分すぎるほど理解できた。そして、理解できるからこそ、妻にも私にも、その言葉は辛かった。
 それからは妻も私と一緒に、あるいは二人別々に、堀井君のご両親と顔を合わせないように時間を考えながら墓参するようになった。
 娘はその頃からちょうど反抗期に入り、直に墓参りについて来なくなった。だが、私たちはそのことを叱らなかった。自分を庇って死んだ相手のことをずっと気にしながら生きていくのは辛いだろうという思いがあったからだ。
 罪があるとすれば、まだ小さかった娘を一人で通学させた私達にであって、娘にではないのだから。
 その頃には流石に利恵に小さな一人部屋を与えており、思春期の娘は父親が部屋に入ることを嫌がったが、それでも心配癖の抜けない私は、夜中に目が覚めては利恵は魘されていないだろうかと気になった。それで時々、こっそり足音を忍ばせては娘の部屋に入って、その寝顔を眺めていた。
 口を開けば生意気なことを言い、すっかり一丁前の口を訊くようになった娘だったが、それでも寝顔は小さな子どもの頃と同じだった。穏やかな寝顔を確認して安心すると、私は利恵を起こさないようにそっと部屋を出た。
 大抵はそれだけのことだったのだが、娘はたまに、ひどく苦しげに眉を寄せて寝ていることがあった。
 利恵にそんな顔をさせていた夢の大半は、おそらく事故のこととは関係なかったのだろうと思う。思春期の少女の悩みなど私には想像もつかないが、どんなに幸福な子ども時代を送る者にも、学校で辛いことのひとつやふたつはあるだろうから。
 そう自分に言い聞かせてはみても、どうしても気になってしまう私は、利恵を起こさないように気をつけながら、そっと頭を撫でた。そうすると、たいてい娘の眉間の皺は緩んで、いくらか穏やかな顔に戻った。

 次々に胸に去来する追憶に阻まれて中々進まない原稿を前にうんうんと唸りながらも、私は少しずつ書き足してはまた削り、という具合に筆を進めていった。それでも粘り強く苦戦を続けた結果、二時間が経つ頃にはようやく原稿用紙に換算して十枚ほどの分量を書いていた。
 ただいまと遠くから聞こえてきた妻の声に、進みの遅い原稿に疲れ始めていた私は、書斎を出て再び洋間に向かった。
「おかえり」
 声をかけると、妻は肩を雨に濡らしたまま忙しく買い物袋の中身を冷蔵庫に移しているところだった。
「今日のお昼は煮込みうどんにしますよ。あなたはあまりお好きじゃないでしょうけど、おうどんなら皆で一緒に食べられるでしょうからね」
 妻は振り向いてそう言った。孫娘が食べられないものを避けるというのは分からないでもないけれども、よりによって雨も降って蒸し暑いこんな日に暖かいうどんかと、やや滅入るような気持ちになって、私は肩を竦めた。
「そんなに気にしなくても、利恵が別に離乳食を何か持ってくるんじゃないのか」
「たまに遊びにくるときくらい、私が作ったものも食べさせてあげたいじゃありませんか」
 そう言い返す妻が楽しそうにしているので、私はそれ以上の文句をつけるのは止すことにした。暑い時期こそ熱いものを食べて汗を掻いたほうがいいことだしなと、自分で自分を宥めながら。
「何か手伝おうか」
 私はふと気が向いて、下拵えを始める妻の背中に声をかけた。妻は私の申し出に、大袈裟に目を瞠って驚いた。
「あら珍しい。どういう風の吹き回しです」
「別に、何だっていいじゃないか」
 やはり気恥ずかしくなって、私はそっぽを向いた。そんな私を、妻は明るく笑い飛ばして、再び手を動かし始めた。
「せっかくですけど、お気持ちだけでじゅうぶんです。貴方は小説の続きでも書いてらしてくださいな。普段何もしないのに、慣れない手伝いなんて邪魔になるだけですよ」
 そう背を向けたまま軽くあしらわれはしたものの、なんだかんだと言って妻の機嫌はいいようだった。いくら鈍い私でも、三十年以上も共に暮らせば、立ち働く背中の揺れるリズムひとつで機嫌の良し悪しくらいは分かるようになるものだ。
 ともあれ、妻の言葉には反論の余地もなく、私は尻尾を巻いて書斎へ退散し、再び電源を点けたままだったパソコンに向かうことにした。
 炊事や買い物に限らず、この年まで碌に家の中のことを手伝わずにきてしまったことを、時々発作的に恥ずかしく思うことがある。けして家庭を大事に思わなかったというわけではないのだが、仕事に小説にとほぼ自分のことばかりで手一杯だった私は、家のことをほとんど妻に丸投げにしてしまっていた。
 それでもたまに愚痴を零す位で辛抱強く付き合ってくれた妻には、いざとなるとまるで頭が上がらない。よく世間に聞くように、定年を迎えた途端に邪魔者扱いされるようにならなければいいが。
 結婚前から小説を書くことに夢中で、ささやかなデート中にさえ時おり小説の構想に意識を飛ばしていた私に、それでも妻は初めから諦めがついていたようなところがあるが、娘の方は当然ながらそうではなかった。小さい頃に、無理をしてでももっとたくさん遊んでやればよかった、あちこち連れて行ってやればよかったと、娘がもう親に付き合ってはくれない年になってから、私は何度も思った。
 家族と出掛けることも少なく、休みとなると一人書斎に篭って訳の分からないものを書いてばかりいる父親への不満は、いつの間にか、私が思っていたよりもずっと深く娘の心に根を下ろしていたようだった。ただ忙しくてあまり構ってやれなかったというだけでなく、私は男兄弟の中で育ったこともあり、女の子の気持ちなど碌に分かってやれなかったし、それに……。
 と、またしても手が止まっていたことに気付いて、私は自分で自分に呆れた。どうも今日は娘のことばかりが頭をよぎって、満足に集中できない。
 仕方なく一旦筆を休めることにして、私はとりあえずこれまでに書いた分を印刷した。それを手にとってソファの方に腰を移し、今朝から書いた部分を読み返すと、なんだか主人公のモノローグの中にはつらつらと説教じみたことが書いてあって、我ながら嫌になった。
 私は元々、説教臭いことを言いたがる人間だ。これは年のせいと言うよりも、生来の気質であるような気がする。あるいは子どもの頃、年の離れた末の弟がいつもとんでもないことをやらかして帰ってくるのを、忙しい両親に代わって懇々と説教していたから、その癖がついてしまっているのかもしれない。
 私はかつて、娘にも度々「ちゃんとした大人になれ」と言って聞かせていた。それは娘には亡くなった堀井君の分まで幸せになってほしいという親心からではあったが、本当にそれだけだっただろうかと、今となっては自分の心に疑いを持たざるを得ない。周囲の目、他人からの遠巻きな視線を、私は本当に気にしていなかっただろうか。娘のためではなく、堀井君とその両親に済まないと思う気持ちが、その言葉を言わせたのではなかっただろうか。
 そもそも「ちゃんとした大人」とはどういう人間のことなのか。真っ当に幸せになって欲しいという気持ちそのものに嘘はなかったが、幸せとは何かを問われると、私は未だに言葉に詰まる。
 娘は今、幸せなのだろうか。婿は気のいい男で、去年には可愛い孫娘まで生まれた。幸せにしているとそう信じたいが、本当にそうかと自分に問いかけても、私には今ひとつ自信が持てない。まして、当の娘に聞くような度胸もない。
 確信できないのは、自分が幸せだと胸を張って言えないからだろうか。いや、私にはできた妻がいて、可愛い一人娘もよき結婚相手に恵まれ、初孫までこの手に抱けた。私はそれで充分すぎるほど幸せだ。
 だが、自分自身がちゃんとした大人であるかと問われると、こちらの問いには残念ながら、ただ首を横に振るしかない。

 妻と利恵が堀井家を訪ねなくなって、一年半ほどが経った頃のことだ。忘れもしない、この辺りでは珍しく雪が一面に積もった冬の日だった。
 その日の会社帰り、私はどうにか動いていた電車を降りて、家まで駅から十分ほどの道のりを歩いていた。
 そこはもう住宅街の真ん中だった。小学校の下校時間にしては遅かったが、どこで寄り道していたのかランドセルを背負った小さな男の子が、鼻歌を歌い、傘を振り回しながら私の前を歩いていた。ときどき近所で見かける子だった。
 私は初め少年に、傘を振り回しては危ないよと注意しようかと思った。けれど、拍子を取りながらゆっくり歩くその様子がどことなく楽しそうで、微笑ましく思えたので、結局は何も言わずに男の子を大きく避けて追い抜いた。
 一瞬のことだった。
 雪道にタイヤが滑る異音に気付いて私が振り返ったときには、もう男の子の目の前に車のバンパーが迫っていた。
 男の子の身体はあっけなく跳ね飛ばされ、近所の家の塀にぶつかって勢いよく跳ね返ると、とさ、と音を立てて雪道に落ちた。悲しくなるほど、軽い音だった。
 私は咄嗟に、何も出来なかった。
 それでもすぐに我に返り、慌てて駆け寄ったが、男の子はぴくりとも動かなかった。真っ青な顔で車を降りてきた運転手は、まだ若い、女の子と言ってもいいような女性で、動転した様子で男の子に呼びかけながら駆け寄ろうとした。
 頭を打っているかもしれないから、揺さぶらない方がいい。そう思った私は、手振りで女性を制して、そのときはまだ普及し始めたばかりだった携帯電話を持っていないことを悔やみながら、目の前の家の住人を呼び、救急車を呼んでもらった。
 寒い日のことだったので、その家の主婦は救急車を呼んだ後、毛布を持って出てきてくれた。私たちは頭を揺らさないようにと気を遣いながら、そっと男の子の身体を毛布で包んだ。少なくともそのときにはまだ、男の子の体は温かかった。
 救急車とパトカーが到着したのは、ほぼ同時だった。男の子は運ばれていき、私と運転手の女性は警察官に事故の内容を聴取された。私たちは男の子の容態を気にしながら、前後の状況を説明した。事故現場の半ば溶けかけた雪の上に飛び散ったわずかな血痕が、ひどく目に焼きついてしばらく離れなかった。
 結局助からなかったと近所の噂で聞いたのは、それから三日ほど経ってからのことだった。
 その事故に居合わせたことを、私は家族に打ち明けられなかった。
 私は命を投げ出してでも、その子を助けるべきだったと、後から何度も繰り返し思った。
 娘のときとは状況が違う、どんなに急いで飛び出しても間に合わなかった、どうしようもなかった。そう頭では思っても、自分で自分を許せなかった。私は立ち竦むばかりで、何も出来なかった。娘を助けて死んだ堀井君に本当に感謝しているのならば、今度は私があの男の子を助けて死ぬべきだった。理屈ではなく、そう思った。
 あのとき、あの雪の日。咄嗟に助けようと飛び出して、その上でどうにもならなかったのならば、私はすぐに自分を許せただろうか。それは、今でも分からない。




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