エイッティオ=ルル=ウィンニイは子どものころから、何をやらせてもひとより器用なたちだった。 頭の出来もよかったし、飛ぶのもとびきり速かった。曲芸飛行だって、彼よりうまくやれるやつはそういない。特段の努力をしたわけではない。初めから、彼にはほとんどのことが容易だったのだ。 ひとの心の機微を汲むことにかけても、それは同様だった。優秀すぎるものは妬まれる。彼がそのことを理解したのは、かなり早い時期だ。だからエイッティオ=ルル=ウィンニイは、道化になった。 陽気で目立ちたがりで、お調子者のエイッティオ=ルル=ウィンニイ。それが彼の評価になった。口さえ閉じておけばいい男なのに、いつも馬鹿げたことばかりいって、ひとを笑わせている。しょっちゅうくだらない悪戯を仕掛け、何の意味があるかわからないような冒険には率先して先頭をきる。 当然のように、エイッティオ=ルル=ウィンニイは仲間たちから好かれた。何もかもが呆れるほど、彼にとっては簡単だった。簡単すぎた。 道化の仮面の内側で、彼はいつも退屈していた。あっさりと彼の見せかけに騙される同胞たちを、いつも醒めた眼で見つめていた。ありとあらゆることがくだらなくて、馬鹿らしいとしか思えなかった。それだというのに、その仮面を脱ぐことも面倒で、彼はいつまでも道化であり続けた。 その仮面と心との落差が、どこかににじみ出てしまうのかもしれない。オーリォを迎えると、彼の周りにはひっきりなしに女の子たちが集まってきたけれど、結局のところ、誰とも長続きしなかった。 成人して働き口を見つけてからも、そうした彼の鬱屈は変わらなかった。仕事を覚えるのに何という苦労もなかったし、上司からも同僚からも、エイッティオ=ルル=ウィンニイは当然のように好かれて、可愛がられた。そしてそのことに、彼は深く失望した。 何もかもがつまらなかった。 所詮はそんなものだと諦めようとしたけれど、一年が経つころにはどうしようもなく、何もかもが嫌になっていた。 二度目のオーリォの旅先から、エイッティオ=ルル=ウィンニイは戻らなかった。 職場をクビになったことも、かつての仲間からあらぬ噂を立てられたことも、もうどうでもよかった。彼はふらふらと、無為にあちこちを飛び回った。そういう自分を、醒めた眼で見つめたまま。 遊び呆けて丸一年もすれば、手持ちの金もすっからかんになった。それでエイッティオ=ルル=ウィンニイはふと気まぐれを起こして、両親のもとを訪ねてみる気になった。 本気で困り果てていたわけではない。なんだかんだで要領のいい彼は、短期間の仕事くらいなら、いつでも見つけることができた。職や住まいを点々と変えるトゥトゥは、珍しくない。やろうと思えば、いくらでもやり直せる。 だからそれはただ単に、嫌がらせのつもりだった。あまり彼に親らしいことをしてくれたことのない両親――彼のほうでも、ふたりに頼ったり甘えたりということをした記憶がほとんどなかったから、ある意味ではお互いさまだったのだが、ともかくこのときエイッティオ=ルル=ウィンニイは、彼らを困らせてやろうと思ったのだった。 ふつうのトゥトゥは、独り立ちしてしまえば、めったなことでは親元に戻ったりしないものだ。まして金をたかるようなやつは、そういない。常識のある親だったら、一発はたいて追い出すだろう。ただでさえちょうど、次の子を育てるのに忙しく、もの入りな時期でもあるのだから。 子ども時代、彼にあまり関心を払わなかった両親は、このときもやはり興味のなさそうな顔のまま、投げつけるようにして彼に金を与えた。 皮肉に笑って金を受け取ったエイッティオ=ルル=ウィンニイは、足元に転がる毛玉に気付いた。白っぽい、ぼわぼわした毛の塊。 よく見れば、そいつには小さな嘴と手足があった。 これはもしかして自分の弟かと、エイッティオ=ルル=ウィンニイは目を丸くした。およそトゥトゥには見えない。どうひいき目に見ても、不格好な鳥のヒナだった。ちょっと足の先でつつくと、あっけなく転がってぴいぴい鳴いた。 だというのに、すぐに立ち直って、よたよたと寄ってくる。それをまたつつく。毛玉は転がって、やっぱりぴいぴい鳴いて、それでも懲りもせずに、また彼のほうに近づいてくる。そうしてじっと、エイッティオ=ルル=ウィンニイを見上げる。 彼はちょっとの間、面白がって弟を転がしていたけれど、それにもじきに飽きて、あっさり興味をなくした。 エイッティオ=ルル=ウィンニイはその日のうちに再びあてのない旅に出て、それきり弟のことは、すっかり忘れていた。 ※ ※ ※ エイッティオ=ルル=ウィンニイは不機嫌に翼を揺らしていた。 眼下には、のっぺりした路面が広がっている。無機的に固められ均された、阿呆のようにだだっ広い地面。 滑走路、というのだそうだ。整然と引かれたラインに、点在するマーカー。その先、遠くに見えるのは、巨大な銀色の機体。 この路面を、あの不格好な機械が走って、空に飛び立つのだという。 大仰なことだ。エイッティオ=ルル=ウィンニイは胸のうちで、皮肉に笑う。どうして飛ぶのに、こんなに長い助走が必要なのか。 だいたいあの機械の、不格好なことといったらどうだ。あんな単純な形の鉄の翼が、自在に風をとらえて羽ばたくとは、とても思えなかった。あんなもので空を飛んで、安全だなんて、エイリアンどもは本気でいっているのだろうか。 初夏の陽射しは強い。胸のうちで散々に目の前の光景を罵りながら、エイッティオ=ルル=ウィンニイは陽炎のたつ滑走路を睨む。 それが八つ当たりだというのは、自分でもわかっている。 けっこうな数の航空機が、いまやヴェドの各地を行き交って、遥かな遠い土地からさまざまな荷物を運んでくる。それが彼らの生活にもたらすものは、少なくない。これまでに小さな機械トラブルはともかく、事故らしい事故があったという話も聞かない。 だからただ単に、彼は個人的にその飛行機が気に食わなくて、難癖をつけているだけだ。自分でわかっていながら、エイッティオ=ルル=ウィンニイは胸中で罵るのをやめない。 隣にはひとりの異星人が立って、やはり機体のようすを見守っている。弟の上司という男だ。しばらく黙りこんでいたが、ふと顔を上げて、エイッティオ=ルル=ウィンニイのほうを見た。 「――今日は風もいい具合だし、まだ訓練飛行だから、ベテランの操縦士が同乗する。心配はいらない」 その言葉に、罵声を返しそうになって、エイッティオ=ルル=ウィンニイはぎりぎりのところで思いとどまった。 翼を軽く広げて、エイッティオ=ルル=ウィンニイは笑顔を作る。 「いやあ、過保護だって、よくいわれるんですけどね。笑ってもらっていいですよ」 いいながらも、心のうちでは吐き捨てていた。何が安全だ、あんな不格好なもので空を飛ぶのに、安全もへったくれもあるものか。 けれど顔には出さなかった。あくまでにこやかに、エイッティオ=ルル=ウィンニイは翼を振る。 「――やっぱりね、俺らとしては、怖いんですよ。今回は、乗っているのが弟だからっていうのもあるんですけどね、それだけじゃなくて」 訝しげにしている異星人を見下ろして、エイッティオ=ルル=ウィンニイは説明する。 「あなた方の飛行機が空を飛んでるのを、はじめて見かけたときにね、やっぱり思いましたよ。あんなところを飛ぶなんて、馬鹿じゃないのかって――いや、失礼」 怒らせてもいいという気持ちが、どこかにあった。けれど異星人はわずかに眉を上げただけで、気を悪くするようすもなく話の続きを促した。テラ人の表情の細かい違いは、エイッティオ=ルル=ウィンニイにはわからない。ただ、じっと彼を見上げる男のようすは、ごく真剣なものに見えた。 その態度を見て、エイッティオ=ルル=ウィンニイは気を変えた。首をかしげて、言葉を探す。 「理屈ではちゃんと、大丈夫なんだろうと思うんです。ただ、俺たちにとっては――なんていったらいいのかな。体が覚えてる感覚っていうか、そういうのがあって」 少し、真面目に話してやってもいいかという気になっていた。いいながらエイッティオ=ルル=ウィンニイは、空を翼の先で示してみせる。 「ガキの頃にね、飛ぶ練習をして、ようやくよたよた飛べるくらいになるでしょう。その頃にね、何度か落っこちたり、風にあおられて危ない目にあったりするんですよ。そのときのことを、体が覚えてるんです――このくらいの高さまでだったら、何かの間違いでうっかり落っこちても、まあそうひどい怪我はしないで済むぞ、これ以上高くなると空気が薄くて飛ぶのが難しいぞ、っていうような」 喋っているうちに、苛立ちがおさまっていくのを、エイッティオ=ルル=ウィンニイは感じた。もともと彼は、そういうタイプだ。喋れば喋るほど、自分の言葉にあおられて興奮するトゥトゥも少なくないが、彼の場合はどちらかというと、話しているうちにどんどん冷静になってくる。 「でも、あなたがたの飛行機は、それよりずっと高いところを、強引に飛んでいくでしょう。危なっかしいような強い風の中でも」 一度言葉を切って、エイッティオ=ルル=ウィンニイは空を仰ぐ。よく晴れている――たしかにいい風だった。 「見てるとね、頭ではすごいなと思うんですけど――理屈じゃなくて、背中のここらへんが、ぞわぞわするんですよ。あんなところ飛べるはずがないぞ、死んじまうに決まってるだろう、って。――そうだな、そういう意味じゃ、エトゥリオルは向いているのかもしれません。あいつは高いところが、怖くないみたいだから」 苦笑して、エイッティオ=ルル=ウィンニイは言葉を切った。彼を見上げる異星人は、いっとき考え込むような様子を見せて、それからうなずいた。 「俺はこんな仕事をしてるから、君らが飛行機を嫌う理由については、いろいろと考える機会が多い。異星人の技術っていうのに抵抗があるんだろうかとか、空を飛ぶのに機械の力を借りるのが嫌なんだろうかとか。だが、いくら考えても、実感としてはわからない――想像するしかないからな。そういう問題について、俺たちに本音のところで話してくれるトゥトゥは多くないし」 ふっと言葉を切って、異星人は頬を撫でた。それからかすかに首を傾けて、いった。 「いま、君の話を聞いていて、思った。この星で飛行機が一般的になるまでには、まだかなりの時間がかかるんだろうな」 落胆しているのだろうか――まじまじと見下ろしても、やはり異星人の表情は、よくわからなかった。エイッティオ=ルル=ウィンニイは嘴を掻く。 「――でも、飛んでるところを見てれば、やっぱり、羨ましいなとも思いますよ」 いいながら、それがあながちただの慰めでもないことに、エイッティオ=ルル=ウィンニイは気付いた。それもまた、彼の本音だ。 「あんなふうなスピードで、空を思いっきり飛べたら、気持ちがよさそうだなっていうのも――やっぱりそれはそれで、あります」 そのとき唐突に、遠くで低く、唸るような音がした。それが切れ目なく続き、じわじわと高まっていく。飛行の準備が始まっているのだろう。 銀色の機体の脇で、いくつかのランプがともるのが見える。 「――俺は管制のほうに移動するよ。俺の眼では、ここからじゃ飛んでるところが、あまりよく見えないから」 彼らの視力は、トゥトゥに比べればお粗末なものだと聞いていた。エイッティオ=ルル=ウィンニイはうなずいて、翼を振った。 「俺はもうちょっと、こっちにいます」 そうかとうなずいて、異星人は去っていった。エイッティオ=ルル=ウィンニイはあらためて、滑走路の向こうの飛行機を見る。その巨大な機体と、まっすぐにのびる武骨な鉄の翼を。 ※ ※ ※ 二度目に弟の顔を見たのは、最初のときから、一年半ほど経ってからだっただろうか。 やはり金が尽きて両親のもとに顔を出したエイッティオ=ルル=ウィンニイは、弟の変化に目を丸くした。前のときには鳥のヒナにしか見えなかった毛玉は、ようやくいくらかトゥトゥらしい形になっていた。そして、とにかく騒々しかった。 舌っ足らずにぴいぴい囀りながら、いつまでもエイッティオ=ルル=ウィンニイの足元にまとわりついてくる。最初はそれを面白がって、構ってやったりもしてみたけれど、あまりにも無心にまとわりついて来るものだから、途中からだんだんうっとうしくなってきた。 帰ろうとするエイッティオ=ルル=ウィンニイを、引きとめようとして、弟はしつこく足元にしがみついてきた。それをあしらっているうちに、ふと彼は、意地の悪い気持ちになった。 ちょっと脅かしてやろうかという気になったのだ。 よく晴れて、ちょうど空を飛ぶのには絶好の日和だった。背中にちいさな弟をしがみつかせて、エイッティオ=ルル=ウィンニイは屋上に出た。 ――しっかりつかまってろよ。 いうと、弟は興奮したような顔で何度もうなずいた。 風も強すぎず弱すぎず、近くを飛んでいるトゥトゥは多かった。それを横目に、屋上の縁を力強く蹴って、エイッティオ=ルル=ウィンニイは家の上空に舞い上がった。 彼の背中に小さいかぎづめを喰いこませて、弟は歓声を上げた。やっぱりよしておけばよかったか――エイッティオ=ルル=ウィンニイはちらりとそう考えた。かえってうるさくてしかたがない。 空を飛ぶといっても、たいした高さではない。軽く家の上空を一周して、すぐに戻ろうと思っていた。 エトゥリオルがうっかり落っこちそうになって、びびって近寄ってこなくなれば、うっとうしくなくていいかもしれない――それくらいの、軽い気持ちだった。 本当に落とすつもりはなかった。
背中に食い込んでいたかぎづめの感触が、ふっと消えたその瞬間、エイッティオ=ルル=ウィンニイは自分でも意外なほど焦った。
うっかり大けがでもさせてしまったら――落ち方が悪くて死んでしまったら。 心臓が止まりそうになりながら急降下して、弟のもとに向かうと、エトゥリオルは屋上に転がったまま、きょとんとしていた。 体重が軽いというのは、まったくもって、怪我から身を守るすばらしい資質なのだった。驚いたことにエトゥリオルには、怪我ひとつなかった。 慌てているエイッティオ=ルル=ウィンニイを見て、弟はあろうことか、満面の笑顔になった。そしてひとの気も知らないで、はしゃいだようすで彼にせがんだ。もう一度、と。 次は自分で飛べと、笑って言い聞かせながら、まだ冷や汗が出ていた。 その日以来さすがにちょっとは気になって、たまに顔を見にいくと、エトゥリオルは会うたびにどんどん大きくなっていった。そして、それにもかかわらず、赤ん坊のときと同じように、エイッティオ=ルル=ウィンニイにやかましくまとわりついてきた。 大きくなったとはいっても、どうも同じ年頃のトゥトゥよりは小柄なようで、体つきもなんだか痩せて貧相だった。 そのうえどうやら、頭もあまりよくないようだった。知能が低いというのとは違うようなのだが、することがいちいち、どうしようもなく馬鹿っぽい。なんでもないようなことですぐ笑うし、すぐ泣く。 兄がそうするようにわざと道化て見せているわけではなくて、なんというか、愚直なのだ。なんでもかんでもひとの話を真に受けて、疑うことを知らない。エイッティオ=ルル=ウィンニイに懐いてしつこくまとわりつくあたりが、その最たるものかもしれなかった。 よくいえば、素直なのだろう。それにしても、あまりに単純な弟に、エイッティオ=ルル=ウィンニイは何度となく呆れた。こいつは本当に俺と同じ母親の卵から生まれたのだろうかとさえ思った。 四歳になったエトゥリオルが、まだ飛べるようにならないと聞かされたとき、エイッティオ=ルル=ウィンニイはどきりとした。 あのときには平気そうに見えたけれど、まさか落っことされたときの恐怖心が心の奥に残っていて、それが原因で飛べないんじゃないか。そんなふうに考えが向いて、どうにも落ち着かなかった。 エイッティオ=ルル=ウィンニイよ、お前はそんなことで罪悪感を抱くような、繊細なタマだったか? そう呆れる自分が胸のうちにはいた。それでもその小さな刺は、どういうわけか、いつまでもちくちくと彼の胸の片隅を刺していた。 それだから、エトゥリオルが病院に連れられていって、飛べない原因がわかったとき、エイッティオ=ルル=ウィンニイはまず何より先に、ほっとした。 先天的な骨の障害が理由で、この先も生涯、飛べるようになる見込みはない――なんだ、それなら俺のせいじゃない。何も気に病むことはなかったじゃないかと。 そう思ったあとで、むちゃくちゃに気がとがめた。 そのあと、しばらく足が遠のいた。会わなくても罪悪感はずっと残っていて、エイッティオ=ルル=ウィンニイの中で、抜けない刺になった。 どうしても気になって、二年ぶりに会いにいった。その二年間で弟は、ひどく卑屈な眼をするトゥトゥになっていた。 ただでさえ痩せっぽっちの小さな体を、所在なさげにさらに縮めて、飛びまわっているほかの連中を、いつまでも羨ましそうに見上げている。それで我に返ると、いじけた眼つきをする。 会いに行ったその日、エトゥリオルは彼の前で、べそべそ泣いた。 ――僕も、エイッティオ=ルル=ウィンニイみたいだったらよかった。 弟のその言葉を聞いて、彼は殴られたような衝撃を受けた。部屋の隅に小さく縮こまって、兄の目を見ないまま、エトゥリオルは繰り返した。 ――兄さんみたいになりたかった。 馬鹿をいえ、と思った。 後にも先にも、あんなに激情に駆られたことはない。べそを掻いている弟の横で、エイッティオ=ルル=ウィンニイは、あろうことか、自分まで一緒になって泣いた。いじけて丸まった弟の背中を見て、こんな話があるものかと思った。 馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたけれど、いくらなんでもそんな馬鹿な言い分があるものか。なにが悲しくて、お前みたいなやつが、わざわざ俺なんかのようにならなきゃいけないんだ。 お前ならもっと、ましなものになれるはずだろう。 その日、エイッティオ=ルル=ウィンニイは生まれてはじめて、心の底から自分を恥じた。 ※ ※ ※ よく晴れた空の下、滑走路の向こうから、いま銀色の機体がゆっくりと、こちらに向かって走り出した。高まっていくエンジンの音。 充分に加速したあとで、あの機体は一気に空まで飛び立って、ぐんぐん高度を上げてゆくのだという。トゥトゥの翼では及ばない、はるかな高い空へ。 次は、自分で飛べ――いつか、ほんのちびだった弟にかけた言葉を、エイッティオ=ルル=ウィンニイは思い出す。 不安だった。危ないことをするなといって、弟を殴ってでも引きとめたいような気持ちは、正直にいうと、いつでもあった。 それでもエイッティオ=ルル=ウィンニイは、この日まで一度も、弟を止める言葉を口にしていない。 彼の弟はいま、多大なる努力のはてに、あの中にいる。そうして兄には飛ぶことのできない遥かな高空に、これから向かうのだ。いつかの幼い日に交わした、約束のとおりに。 止める言葉が、あるはずがなかった。 空には雲ひとつない。風が力強く彼の背を押している。 季節はちょうどオーリォにさしかかる頃だ。これほどいい日和なら、今日あたり旅立つトゥトゥも多いだろう。 銀色の機体は、徐々に速度を上げて迫ってくる。エイッティオ=ルル=ウィンニイは食い入るように、弟の乗る飛行機を見つめる。 |