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 待ち合わせの公園には、人が多かった。このあたりで住む人々の憩いの場になっているのだろう。
 スクールの近くにあった広場とは、ずいぶん雰囲気が違っていた。赤ん坊や、走り回れるようになった子供を連れて、その親たちが言葉を交わし合っている。育児の不安を打ち明け合ったり、子供同士で遊ばせたりしているようだ。
 公園というものは、地球の都市部にあるようなものを、ほとんどそのまま模して作られているんだそうだ。外周には何種類かの樹が植えられて、空調の風を受けて梢を揺らしている。高く設えられた天井からは、明るい光が射しかけている。こんなことにいったい何の意味があるのかと思うけれど、ひとの精神の健康のためには、広い空間と樹木が重要な役割を果たす――のだそうだ。
 委員長の姿は、すぐに見つかった。というのも、僕らのほかはみんな家族連ればかりで、ひとりで来ているのは彼くらいだったからだ。
 向こうも僕にすぐ気がついて、軽く手のひらをあげると、いつもの飄々とした足取りで近づいてきた。
「よう、久しぶりだな」
「一ヶ月も経ってないだろ」
 とっさにそう答えはしたものの、実をいえば、僕も同じことを感じていた。まあな、と笑って、委員長は首を掻いた。
 僕らは家族連れの人々を避けて、端のほうのベンチに座った。近くには食事が出来る場所もあったけれど、なんせ僕らには金が無かった。
 委員長はベンチの背もたれに寄りかかると、ひどくくたびれたというように、ひとつ深いため息をついた。
「参った」
 何のことを言っているかは明らかだった。笑いながら、僕もぼやいた。「なんなんだろうね」
「まったく人の話を聞かなくないか」
「僕のところは、ちゃんと聞いてくれてるよ。でも、言いたいことがぜんぜん伝わらない」
「宇宙人だよな」
「わかる」
「振り回されるよなあ」
「悪気はないんだろうけど、なんていうか……」
「疲れる」
 僕らは同時にため息を吐いて、ちょっと笑いあってから、さんざん愚痴をこぼした。
 僕らの女性観はおおむね一致していた。気まぐれで、感情的で、話が通じない。何で怒るのかわからないようなことで怒る。機嫌を損ねてもいつの間にかけろっと立ち直って、こっちが心配したのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、平気な顔をしている。
「参るよなあ」
 さんざん悪口を言っておきながら、彼はちょっと照れくさそうに、端末に保存してある画像を再生して、僕に見せてくれた。画面の中では彼の妻が、緊張したふうにまっすぐカメラを見つめていた。
 やや垂れ目気味のブルーアイ、ほっそりとした顎、薄い唇。大人しくて物静かそうな人だ――彼の妻の画像は、僕の目には、そういう印象を与えた。この人が口げんかになったらえげつなく委員長を問い詰めるんだろうかと思うと、妙に可笑しい気がする。
 その画像を眺めながら、僕は小さな疑問の答えをひとつ拾ったような気がしていた。僕らが卒業して新たな自分の家に到着するまで、けして事前に花嫁の顔を知らされなかった、その理由。
 僕は彼の妻をそつなく褒めたし、それは嘘ではないつもりだったけれど、それはそれとして、僕は内心で鼻が高かった。僕のルーのほうが可愛い。
 もちろんそんなことを口に出して言わないくらいの分別はあった。だけど、そう、もし前もってこんな風に、お互いの配偶者の写真なんかを見せ合う機会があったなら、教室は羨望だの反感だので、さぞうっとうしいことになっただろう。
 それに、クローンの問題もある。
 女の子たちはあんまり死にやすいものだから、男に対して、数がぜんぜん足りない。だけどそれじゃあ、人口は見る間に激減する一方だ。それで、自然に生まれてきた子だけじゃなくて、その子たちの細胞をもとにしたクローンが、何人も作られる。
 ルーは、どっちなんだろう。そう考えたことが一度もないといったら、やはり嘘になる。確かめたければ彼女に向かって、両親の記憶があるかどうか、聞いてみればいい。だけどそんなことはやらない。だってそうだろう? その答えがどちらであっても、いまさら何かをどうにかできるわけでもないんだから。
 ともかく、同級生の誰かの奥さんが、自分の妻とそっくり同じ顔をしている可能性っていうのは、少なからずあるわけだ。そのことを、結婚前にはそれほど重く考えたことはなかったのだけれど、あらためて想像してみれば、あまりいい気はしなかった。その子が自分以外の男と仲良く腕なんか組んでるところを想像すればなおさらだ。
 ところで僕のほうはというと、ルーの画像を、委員長に見せなかった。素っ気ない口調を作って、僕は言った。「写真なんか撮ってないよ」
 もちろん嘘だった。端末の中にはルーの画像が、一枚や二枚どころではなく入っていた。
「なんだ。つまらないな」
 委員長はそんなふうに肩をすくめて、軽く流してくれた。嘘だと気づいていたかもしれないけれど、あえて追求したりはしてこない。こういうときはやっぱり、男同士のほうが手加減というか、暗黙の了解というか、そういうものがあるなと思った。
 写真を見せなかったのは何も、彼がルーと自分の妻を比べてがっかりしやしないかなんて、そんなおせっかいな心配をしたわけじゃない。もっと単純な話だった。彼女を、ほかの男に見せるのがいやだったんだ。
 笑いたければ笑えばいい。


 ところでこのとき彼の持っていた端末は、もとから使っていたものだった。
「そういえば、あれ、どうなったんだい」
 僕は具体的な名詞を出さなかったけれど、彼の手元に向けた視線から、委員長は察したようだった。
「返してもらったよ。ウチに取ってある。だけど結局、ただのがらくただったな」
「あの日、スイッチは入れてたのか?」
「ああ。だけど、何も拾えてなかった」
「消されたんじゃなくて?」
「たぶん。取り上げられたのが、すぐだったからな」
 悔しそうに委員長は言って、首をすくめた。
「――何か言われた?」
 委員長は少しためらって、それから答えた。「将来が楽しみだ、だとさ」
 言い終わって、彼はふっと、決まり悪げに視線をそらした。たいていのことには動じない委員長にしては、めずらしい仕草だった。僕のほうでも、なんとなく落ち着かなくて、ベンチの上で尻をもぞもぞさせた。
 あのセレモニーの夜、先生は、どうやって彼の仕掛けを見破ったんだろう。
 前からマークしていた? それならもっと早くに取り上げられたんじゃないか。見ていて気づいた? だけどあの会場で、委員長には不審なそぶりはまるで見られなかった。端末は支給品とそっくりだったし、そもそも彼は会場入りしてから、それをポケットから出しもしなかった。怪しまれるような何かがあったとは思えない。
 彼はライブラリで、受信機の作り方を調べたという。もしかするとそのアクセス情報を、チェックされていたのかもしれない。何をしでかすか、先にあたりをつけられていた――
 監視。
 その単語を口にするのがためらわれて、僕はいっとき沈黙した。
 頭上で葉擦れの音に混じって、軽やかな高音が、繰り返し鳴っていた。音楽的な響きのある、けれどメロディというには切れ切れなフレーズ。この環境音楽が地球にいる鳥の声を模したものだというのは、何の授業で教わったんだったか。
 地球では、鳥や虫といった空飛ぶ生き物が、木々や草花の花粉や種子を運ぶという。月ではその代わりに、メンテナンスのためのロボットが同じことをする。地球だったら雑菌や微生物が分解してくれるようなたぐいのゴミも、月面ではそうもいかないから、そこらじゅうをひっきりなしに清掃ロボットが往復している。たとえばそういうありふれた機械に、カメラや集音装置が仕込まれていたら?
 いやな想像をしてしまった。同じことを考えたのかはわからないけれど、見れば委員長も、木の枝を見上げて眉をひそめていた。
 それとも考えすぎだろうか。そうかもしれない。あの夜、委員長は平然としていたけれど、僕のほうは自分で思うほど自然に振る舞えていなかったのかもしれない。それで教師が不審に思って、僕らを注視していたという、それだけのことかもしれなかった。
「それにしても、六年か」
 話を変えたかったんだろう。冗談めかした口調で、委員長は言った。「先は長いな」
「そうかな」
 首をかしげはしたけれど、でも、そう、考えてみれば五年とか六年とかいうのは、けっこうな期間だ。
 だけど、きっと実際にはそう長く感じないだろうという気もしていた。なんせルーと一緒にいるのでは、毎日がずいぶんと忙しそうだから。


 僕らは互いの健闘を祈り合って公園を後にした。
 再び延々とトラムに揺られて帰ると、ルーは完全に拗ねていて、やはり二時間ばかり口をきいてくれなかった。



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