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過去作。 投稿小説TOTAL CREATORS!様のミニイベント「方言小説企画」に参加させていただいたときのものです。
長崎県長崎市のお話です。実在の人物・団体とは関係ないです、念のため。

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 電停の前を通り掛かったところで、レールと枕木の隙間から陽炎が立っているのが見えた。汗がうなじを伝って落ちる。予想最高気温は三十四度だ。
 蛍茶屋行きの路面電車がクラクションを鳴らしながら近づいてきて、軋むような停止音をたてた。乗降口からいっせいに人が吐き出される。その人波に巻き込まれながら、横断歩道の前に並んだ。
 汗をハンカチでぬぐいながら、なんとなく、平和祈念像のあるあたりを振り仰いだ。ここからは、像はまったく見えない。空が青く晴れ渡って、目に痛かった。
 顔を前に戻す。今日の目的地は平和祈念像のある広場ではなく、落下中心碑のある原爆公園のほうだ。
「入江先生」
 肩をぽんと叩かれて振り向くと、見覚えのある皺ぶかい顔が、千羽鶴の覗く大きな紙袋を抱えて立っていた。
「原先生。お疲れさまです」
 そう呼びかけると、原は笑い皺をいっそう深くして、千羽鶴を抱えなおした。私が最初に配属された高校に勤務していた先輩教諭で、いまは転勤を重ねて、県北の方の学校に勤めているはずだった。
「そうか。原先生は、書記次長にならしたとやったですね」
 いうと、原は苦笑して手の中の千羽鶴を揺さぶった。高教組……高等学校教職員組合、労働組合の役員だ。私の場合は、たまたま職場の輪番表で順番にあたって、頭数として出向いてきただけだが、役員ともなれば頻繁に各種の集まりに参加させられて、さぞ忙しいことだろう。
 信号が変わった。メロディーの流れる中を、並んでゆっくりと渡る。そうするうちに、見知った教師連中の顔とちらほら出会った。それぞれに軽く手をあげ、久しぶりの再会を喜ぶ声を上げながら、なんとなく合流して歩く。
「よう晴れとっですなあ」
 会話の途切れた拍子に、原がそう目を細めて空を仰いだ。
 今日は人出が多い。もちろんただの通りすがりや、普通の観光客もいるだろうが、それにしても普段とはまるで違う人の波だ。このうちのどれくらいの人数が、自分たちのように職場や組合から狩り出されている人々で、どれくらいが熱意ある自発的な参加者で、そしてどれくらいが本来の関係者――被爆者やその身内――なのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、広場の隅に踏み込んだ。


 この頃、平和運動に関係するものを目にするたびに、娘の顔を思い出す。
 私や妻はもともと、同じ長崎県内でも島原半島の出身だが、娘の沙耶香は長崎生まれの長崎育ちだ。市内で育つ子どもたちは、学校行事の中でも頻繁に平和教育の時間を設けられ、たびたび講演を聴かされる。原爆資料館などの関係施設を見学する機会も多い。雅孝自身の子ども時代に比べれば、原爆について考える機会というのは、かなり多いように見える。
 その沙耶香が去年の今ごろ、ローカルテレビの原爆特集を見ながら、ぽつりと言った。
 ――でもさ。言いたかことはわかるとやけどさ、こげんとって、ちょっと違うっちゃなかかなあ。もう何十年も経っとるとにさ、あんまり後ろ向きっていうか。自分たちは被害者です、みたいなさ。
 テレビの画面では、ナレーターが沈痛そうな口調で当時の被害について語り、その背後には、去年の祈念式典の映像が流れていた。思わず私と妻が絶句すると、沙耶香は少し後ろめたいような、けれどどうしても納得のいかないような顔で、早口に続けた。
 ――いや、被害者なんやろうけど。そいけどさ、こういう式典とかって、遺族の人たちだけじゃなくて、あんまり関係なか人たちまで、いっぱい集まって、宣伝とかもしてさ。学校とかで聴く講話もさ、こんなにひどい爆弾だった、アメリカはこういう非人道的な判断をしたとかって、そがん話ばっかりでさ。
 沙耶香は考えをまとめまとめ、口ごもりながら自論を展開した。もう二度と核兵器が戦争に使われることがないようにという話は、もちろんよく分かるけれど、六十何年も前のことを、いつまでも被害者意識を前に押し出して、アメリカが悪い悪いって、そればかりを一方的に言いたてているように、自分には思える。日本にだって非があったはずだ。互いに相手を非難してばかりでは、争いはなくならない。戦争をなくすべきだと思うなら、自分たちだって歩み寄って、向こうの言い分を理解するべきだ。
 そういうようなことを切れ切れに言いおえると、沙耶香は同意できずにいる私たちの顔を交互に見て、気まずそうに黙り込んだ。
 一理あると思った。日本軍だって悪行を働いた。アメリカばかりが悪いわけではない。いつまでも過去の遺恨に囚われず、未来のために互いに歩み寄っていくべきだ。たしかに何もかもそのとおりだ。一方的に被害者面するのはどうかという沙耶香の言い分は、よくわかる。けれど、その言い分はあまりに情がないとも思った。
 一瞬で命を奪われた人々の死体の山を、背中にガラスの破片の突き刺さったまま瓦礫の上をさまよった生き残りの話を、その瞬間には爆心地から遠く離れたところにいたのにもかかわらず、家族の安否を知りたくて市内を歩き回って被曝した人々の話を、後遺症の数々を、沙耶香もその耳で聞いてきたはずだ。その上で、七万人あまりの死者とその遺族を、その後延々と続いた後遺症と被差別の苦しみを、正義とか悪とかいう言葉で括らないで欲しかった。加害者と被害者がいるときに、踏みにじられたほうの側に立ってものを考えられる人間になってほしいと思った。
 けれど、私には沙耶香を叱ることができなかった。つい先日まで自分が離島に単身赴任していて、思春期の大切な時期を一緒に過ごさなかったことに対して、負い目のような気持ちもあった。だが、それだけではない。娘が、たとえば学校で行われる平和教育のたぐいを面倒くさがる自分を正当化するために、そんなふうに言っているだけだとは、思えなかったからだ。
 沙耶香には、学校にアメリカ国籍の友達がいる。


 会場にたどりついたときには、すでに式典が始まっているようだった。大勢の人々が、広場にひしめき合っている。その隙間に、テレビカメラが見えた。
 人波の隙間を縫うようにして、千羽鶴を献納できるスペースを探し歩いた。広場にはすでに数多くの千羽鶴が献納されて、石造りの記念碑の周囲に彩りを添えていた。
「そうそう、入江先生んところの鶴が、いっちゃん最初に到着しとったですよ」
 原が汗をぬぐいぬぐい、そう笑いかけてきた。
「十羽だけ、変に不恰好な鶴が混じっとらんやったですか。そいが、おいん分ですよ」
 小声で軽口を叩きあいながら、すでに他の団体の折鶴が献納されている横にかろうじて隙間を見つけて、そこに紐で千羽鶴を結びつけた。そのまま、記念碑のある中心の方を向いて、式典の進行を見守る。政治家か誰かだろうか、ここからでは顔がよく見えないが、張りのある声であいさつを読み上げている。
「こんあとで、集会のあっとですよね」
 原に話しかけたつもりだったが、返事がなかった。訝しく振り返ると、原は食い入るように、献納された千羽鶴を見つめていた。
「どがんかしたですか」
 聞くが、原は「ああ、いや……」と曖昧に言葉を濁して、正面に向き直ってしまった。
 鶴がどうかしたのか。
 色とりどりの千羽鶴を、ひとつずつ眺めてみる。全国のいろいろな団体から送られてくるから、大小も並べ方の凝り具合もさまざまだ。自分たちが吊るした千羽鶴の隣にも、千代紙で折られた変り種が吊るされている。
 そのさらにもうひとつ隣の鶴を見て、原の絶句の意味が分かった。
 形はごくふつうの千羽鶴だ。素材だけが違っていた。さまざまな模様のプリントされた、華やかな折り紙。
 その中の何枚かが、星条旗の模様をしていた。


 娘の沙耶香が家でナガサキの被害者意識について自論を述べた夏の日から、二、三か月が過ぎた頃だったと思う。
 それが思春期というものなのか、このごろずっと気分の浮き沈みの激しい沙耶香だったが、ある日を境に急にひどく元気をなくして、私が話しかけても、生返事ばかりをかえすようになった。
 どこか体調でも悪いのかと心配したけれど、訊いても何も言わない。沙耶香が二階の自分の部屋に引っ込んだあとで、こっそり妻にわけを訊くと、妻は声のトーンを落として言った。
「みっちゃんって子、お父さんも会ったことあるやろ。ほら、あん子が小学校のころ、何回かうちに連れて来た」
 頷いて先を促すと、妻は話しづらそうな顔をしながら、潜め声で続けた。
「あん子が、被爆三世やったとって」
 思わず黙り込んだ。
 核兵器の後遺症は、被爆した当人だけではなく、その子や孫にも影響を与える可能性がある。障害をもって生まれる子が多いという話も耳にする。それは、少なくとも科学的に立証されてはいないはずだが、それでもかれらが偏見の目に晒されているのはたしかな事実だ。
 昔は、そのことがわかって婚約を破棄されたなんていう話も珍しくなかった。いまだって、その種の問題は消えてなくなったわけではない。自分の子孫に遺伝子異常が現れるかもしれないということを考えたときに、相手のせいではないのだから関係ないと、心から言い切れる人間がどれほどいるだろう。
 みっちゃん。記憶に残る顔を思い浮かべてみた。今どきの中学生にしてはあどけない印象の、気の優しそうな子だ。近所の子で、沙耶香とは小学校からずっと一緒だったはずだ。前から、かなり仲がよかったように思う。
 どういう気持ちでそのことを、沙耶香に打ち明けたのだろう。言うのに抵抗があって隠していたのか。それとも単にこれまで言い出すタイミングがなかったのか。
 被害者意識を押し出すようで――あの意見を、娘はみっちゃんのいるところでも、口に出して言ったことがあっただろうか。そのことを、私はいまだに沙耶香に訊けずにいる。


 式典がひと段落したあと、場所を移し、高教組の平和集会を経て解散した。飲みに行くという話もあったが、適当な理由をつけて断ってしまった。そうして、自宅に帰るために、バス停までの道のりを歩きながら、さきほど見た星条旗の鶴を、思い返していた。
 心無いことをする――
 いや、それはあまりに一方的なものの見方だろうか。単に深く考えておらず、そこまで気が回らなかったということかもしれない。あるいは、何か深い意味があるのかも。それこそ沙耶香がいったような、相互理解だとか歩み寄りだとか、そういう特別な意味が込めてあるのかもしれない。それにしたって、遺族が見たらどう思うか、少しも考えなかったのだろうか。
 市民プールの横を通り過ぎた。夏休みの小中学生たちのはしゃいだ声の間に、どこかの水泳部の練習だろうか、気合の入った声が混じっている。
 歩きながら、小さくため息をつく。あれこれ考えてみたところで、作った当人にしか分からないことだ。
 橋の上に差し掛かった。風が吹いて、浦上川の水面を撫でた空気が、頬をなでていく。長崎港からは距離があるが、それでも何かの拍子に、遥々このあたりまで潮の匂いを連れてくる。
 風につられて、ふと川面を見下ろした。被爆直後には、水を求めて集まった人々の死骸で埋まったという川だ。
 泥色に濁ったどぶ川だが、それでも鳥や魚の姿は見かける。水面に跳ねた魚のうろこが、銀色に光を弾いて、すぐに見えなくなった。


(終わり)

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