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 店の軒先をくぐるなり、生活の匂いの残る雑多な品々が私を出迎えた。古時計、足踏みミシン、機(はた)、馬具、煙管入れ……。
 家からなくなっていた思い出の品と、よく似た品物をこの古道具屋で見かけたと、知己から教えてもらい、休日返上で遠路はるばるやってきたのだが、なるほど、骨董品店でもリサイクルショップでもない、まさしく古道具屋といった風情の店だった。
 店内をぐるりと見渡すと、奥に置かれた年代もののレジスターの後ろに、小柄な老人がひとり腰掛けて、ラーメンを啜っていた。味わって食べているのか、それとも歯がないのか、実にゆっくりとしたペースで、その顎が上下している。美味そうな匂いがこちらの鼻にまで届いた。
 老人は、どうやらかなりの高齢に見えた。頭頂部がきれいに禿げ上がり、髭は真っ白にしている。思わず自分の顎の、とうとう白髪の混じり始めた髭剃り跡を手のひらで撫でていると、店主がようやく来客に気づいたように、丼を置いて顔を上げた。
「ああ、これはどうも失礼。いらっしゃい」
 老人は白くにごりかかった目をしょぼしょぼさせながら、思いがけずはっきりした口調でそう言った。いえ、と軽く会釈をして、私は古びた家具だの日用品だのに目を戻した。それらは、売り物として陳列されているのか、ただ単に置きっぱなしになっているのか、それとも店主の家財なのか、どうとも取れるような、無造作な扱いをされていた。壁に立てかけられたバイオリンなどは、表面に細かな埃を被っており、どうもあまり商売熱心とは言いがたいようだった。
 本当にこんな店に、あれが置いてあったのだろうか。
 しかし、教えてくれた男は嘘をつくような人間でもないし、いまは見当たらなくても、もう売れてしまったという可能性もある。一応は確認しようと、老店主に声をかけようとした、ちょうどそのときだった。奥の戸ががらりと開いて、中から小学校高学年くらいの男の子が一人、勢いよく飛び出してきた。
「おじいちゃん、行ってくるね……、あ」
 男の子は私の存在に気づくと、バツの悪い表情になった。ちょっと驚くほどきれいな目鼻立ちをした、利発そうな顔だった。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」
 そう頭を下げるしぐさが、その年齢にしては驚くほど礼儀正しい。そこは商売人の子ということだろうか。
 少年は下げた頭を上げるなり、目を丸くして、私の顔をまじまじと見た。いや、どうやら私の顔の少し横を見ているようだった。私が訝しく眉を寄せると、少年は指をつっと伸ばして、店の入り口付近の棚の、真ん中あたりを指差した。
「お探しの品は、あちらですか」
 驚いて目を向けると、どういうわけか、少年の指の先には、まさしく私が探していたものが、行儀よく陳列されていた。白磁器に、金の象眼で桜の模様が添えられた、小振りの箱だった。
 何も言わないのにどうしてわかったのかと、驚いて少年を問い詰めようとした矢先、老人がのんびりとした声で、孫息子をせっついた。
「颯太。待ち合わせの時間は何時だね」
「あっ! ……いけない、急がないと。いってきます!」
 勢いよく飛び出していく少年の背中を呆然と見送ったあとで、私はようやく我に返って、棚の奥を指差した。
「あの、あちらの品を、見せていただいてもいいでしょうか」
 訊くと、老店主はゆっくりと頷いて、実に大儀そうに腰を上げた。しかしいざ立ち上がってみれば、腰こそすっかり曲がっているものの、老人の足取りは存外にしっかりしていた。
「どうぞ」
 驚いたことに、手渡された小箱は本当に探していた品だった。象眼された桜の花びらに、見覚えのある細かな傷がついている。間違いなかった。
 自宅のあるあたりから電車とバスを乗り継いで三時間もかかる場所で、本当にこの箱と再会できるとは思っていなかった私は、さぞ狐につままれたような顔をしていたのだろう。老店主はしばらく私の顔をじっと見上げていたが、やがてのんびりとレジスターの方に戻り始めた。
「あの……、これを売りに来たのは、男性でしたか、女性でしたか」
 訊くと、老人は思い出そうとするように首を傾けて、白い顎鬚を捻った。
「たしか、若い男の子だったんではないかなあ」
 その答えに、私はあらかじめ自分で予想していたよりも、遥かに深く落胆した。それが顔に出たのだろう。老店主は目を細めて、口元の皺を動かした。
「その品物は、そちらさんのお宅から盗まれたものなんだろうかね」
 はっとして顔を上げると、老人の白く濁りかかった目が、まっすぐにこちらの顔を見つめていた。
「盗品……と言うわけでは。前に持っていた品なのですが」
 私はいいかけて、口を噤んだ。あまり進んで言いふらしたい話でもなかった。
「ともかく、こちらをいただきたいのですが。おいくらでしょう」
 実際にやってくるまでは、もっと格式ばった骨董品店をイメージしていたし、品自体もそれなりにいいものだったから、ぼったくられることも覚悟して、財布にはかなりの金額を入れてきていた。だが、老人が口にした値段は、小学生の小遣いのような額だった。
 ごく小さな箱とはいえ、象眼は本物の金だし、細工は見事なものだ。ただ単に価値が分からないのかとも思ったが、それよりも、私が盗まれた品を買い戻しに来たと思って、良心から安く言ってくれているのではないかと、そう思えて、私は慌てて手を振った。売りに来た男にいくら支払ったか知らないが、その値段ではまるきり店の赤字になるだろう。
「いえ、正規の金額で引き取らせていただきます」
 しかし、老人は緩やかに首を振るばかりだ。
「本当に、盗まれたわけではないのです。恥ずかしながら、妻が家のものをいくつか持ち出して、勝手に売り払ってしまったもので」
 十中八九、男と逃げたのだろうと分かってはいたが、この品を売ったのが若い男だったということが、現実を重ねて私に突きつけるようだった。
 家庭を顧みなかった自分にも非があったのだからと、そんなふうに割り切るほかには術もなく、妻と同時に姿を消した他の品々は、慰謝料代わりとあきらめた。それでも、これだけは思い入れのある母の形見だったもので、多少高くついても、どうにか取り戻したかった。そうした事情を正直に話すと、老人は小さく頷いたが、口にした値段を取り下げるつもりはないようだった。
 仕方なく、好意に甘えることにしたが、それではあまりに気の毒だという気がして、ほかに何か買って帰ろうかという気持ちになった。家具のような大きなものは、電車で持って帰るわけにもいかないが、もともと出費を覚悟してきたことでもあるし、ちょっとした雑貨くらいならかまわないだろう。
 ぐるりと店内を見渡すと、壁際に置かれたガラスケースの中身に注意を引かれた。
 くたびれたようなガラスの陳列ケースには、鈍い金色に光るラッパが一本、ひっそりと横たえられていた。表面はすっかり曇り、もとは赤かったのだろうと思われる、色あせた飾り紐が、管の中央あたりに申し訳程度に巻きついている。
 管楽器の経験があるわけでもなし、買ったところで何の使い道もないのだが、なぜかその古びたラッパがやけに気になった。鈍く金色に光るその表面を、ついじっと眺めていると、老店主がレジの奥に座ったまま、のんびりと声をかけてきた。
「それは、軍隊ラッパなんだ」
 軍隊という言葉の物騒な響きに驚いて、思わず顔をあげると、老店主の口元には、不思議な微笑が浮かんでいた。
「自衛隊とか、そういう」
「いいや。ずっと昔の戦争に使われたものさ」
 思わず半歩ほど後ずさりながら、ケースの中に目を戻すと、老人はゆったりとした口調で、ラッパの来歴を話した。
「ずっと前に、大陸で使われていたものでね、たくさんの兵隊たちに、突撃だの、退却だのの合図をしていたものなんだよ。喇叭手という役割の兵隊がいてね、指揮官のいうとおりの合図を、みんなに聞こえるように鳴らすんだ。そうした品が、戦後のどさくさにかっぱらわれて、流れてきたんだね」
 そう聞いてみると、細かな傷のついたラッパが、なにやら戦いに敗れて草臥れた老敗残兵のように見えてきた。
 老人は淡々と話を続ける。このラッパは、アジアの小さな国の軍隊で使われていたもので、戦闘の際に、突撃の合図などを知らせていたらしかった。あるとき大きなクーデターがあって、これを吹いていた方の勢力が破れ、戦場跡地からどさくさにまぎれて拾われ、売り飛ばされて、流れ流れてとうとうこんな遠くの島国までやってきたのだという。
 どうしてそこまで細かい来歴を知りえたものか、それとも半分は創作なのだろうかなどということを、老人のゆっくりとした口上を聞きながら、頭の片隅で考えていた。しかし老店主の淡々とした口調は、話を面白おかしく盛り上げようなどという気負いとは無縁で、まるで見てきたものについて淡々と報告するような、そんな調子だった。
 老店主の長い話を聞いているうちに、不思議な現象が起こった。私の耳のすぐそばで、ラッパの音が鳴り響いたのだ。
 音だけではなかった。足元から砂塵が舞い上がって、岩だらけの荒涼とした景色を霞ませている。風のためではなく、何千人もの歩兵たちが、軍靴で大地を揺るがせているためだ。彼らが捧げ持つ銃が、がしゃがしゃと音を立てている。その音で拍子を取るようにして、威勢のいいマーチが鳴り響く。
 ラッパは意気揚々と歌う。突撃せよ、同胞たち。祖国の平和を守るために。正義のために。銃後に残してきた家族を、奴らの手にかけさせないために。白い悪魔どもに魂を売った、裏切り者たちに粛清を。撃て、撃て、撃て……
 景気のいい軍隊音楽にあわせて、兵士たちは鬨の声を上げる。はじめは整然と進み、また足並みを揃えて止まっていた行進も、いざ会敵すればそうはいかない。やがて罵声と悲鳴が混じりあい、咆哮の上に命乞いの懇願が重なり、砲撃音の間に銃声が轟く。それにかき消されまいと、威勢よくラッパが吹き鳴らされる。味方の銃弾が逸れて同胞を傷つけ、恐怖に駆られて逃げ出そうとした新兵を、将校が後ろから撃つ。混乱の中で、ラッパは仲間を力づけるように、景気のいい音楽を鳴らし続ける。戦え、戦え、戦え……
 場面が切り替わる。天幕の中、作戦地図に赤い線が引かれている。喧々諤々と繰り返される、将官らしき男たちの議論は、はじめのうちは筋道だった作戦だったが、徐々にトーンを上げて、責任の押し付け合いを孕んだ感情論に移行していく。どこそこの部隊長が寝返った。糧食が尽きそうだと? 近くの村から徴発させろ。わが部隊の兵士の中にも、自軍の正義を疑うものが出始めている。われわれの崇高な目的など、愚民どもには分かるまい……
 また場面が変わった。瓦礫に埋まる市街地は、嵐のような戦闘の通り過ぎたあとらしかった。美しかったのであろう街並は見る影もなく、かろうじて倒壊を免れた市庁舎の白壁に、べっとりと誰かの血が擦り付けられている。死体を漁って金目のものを剥ぎ取ろうという、兵隊くずれがそこここで蠢いている。道の端に無造作に詰まれた死体にたかる、濡れたような黒羽の鴉の群れ。また別の鴉が、もうすぐ息を引き取ろうかという、腹に銃創の空いた幼子を、その賢そうな感情の覗かない瞳でじっと見つめている。まだかろうじて命の気配の残る幼児の、そのぱっちりと開いた黒々とした瞳に、道端に転がっている、晴れがましい装飾の軍隊ラッパが映りこんでいる……
「道具というのは、ある意味、憐れなもんでね」
 老店主の声で、現実に引き戻された。
 先ほどまでいたのと変わりない、古道具屋の、埃っぽい店内だった。背中にびっしょりと汗をかいていた。遅れて震えがやってくる。いま見たものは何だ? 白昼夢か、己自身の想像力が作り出した幻覚か。それにしては、妙に生々しかった。
 私の混乱をよそに、老店主は淡々と話を続ける。
「彼らは、作られたばかりの若いうちは、自分のするべきことは知っていても、自分のしていることの意味はわからないものでね。それでも、長年の間使われ続け、色んな経験を重ねていくうちに、だんだん、自分の役割が厭になってしまうこともある」
 老店主はまるで、ラッパに人格があるかのような話しぶりをした。その言葉が、なぜだかひどく胸を揺さぶって、私はうろたえた。
 手元の小箱に、ちらりと視線を走らせる。老人が言うように、ものに心があるというのなら、この母の形見の小箱も、己のしたことの意味を知っていたのだろうか。
「しかし彼らは、もう仕事をやめにしたいと思っても、自分の意思ではどうにもできないわけだしね。唯一の方法が壊れること、というわけだ」
 あくまで淡々と話す店主の口元に浮かぶ穏やかな微笑みは、どこか、現実離れして見えた。
「だから、そのラッパは吹けないんだよ。それでもいいというなら、もちろん売るけども」
 はっとして、忙しなく首を横に振った。ラッパ自体の価値がどうだかは知らないが、家に置いておけば、また同じような幻覚を見るのではないかと思えて、恐ろしかった。
 唾を飲み込み、深呼吸して、それからようやく言った。
「遠慮しておきます、すみません」
 老店主は微笑みを深めて、ゆっくりと二度、頷いた。
「それがいい。そのラッパにはそのラッパの、縁のあるお客さんが、そのうちあらわれるでしょうからな。何年先のことになるかは、知らないが」
 軍隊ラッパに縁のある客というのが、どういうものか分からなかったが、とりあえず私は店主の言葉に頷きかえした。それにしても、商売っ気が薄いというか、ずいぶんと気の長い話だ。店主は今でもすでに、かなりの高齢に見えるが……
 そう考えた思考を読んだかのように、老店主がにやりとした。
「ここは、孫に継がせようと思ってるんですわ。あの子は、どうも素質があるようだから」
 何の素質だか、聞いてみたいような、あまり聞きたくないような複雑な気分がして、私は曖昧に頷いた。
 手のひらの小箱の代金を老店主に渡しながら、心の中で、白磁器の薬入れに向かって話しかけた。この爺さんが言うとおりなら、お前もそこの戦争ラッパのように、自分のさせられている役割を、ちゃんと知っていたのかな。中に入れられていたカプセルが、いつのまにかすり変えられて、病気を治すための薬ではなくなっていたことも、そのせいで、穏やかだった母さんが、別人のようになってしまったことも。だから、お前はいやになって、壊れて蓋が開かなくなってしまったのか。
 今は何も入っていない、母の形見の壊れた薬入れの、桜の花びらを象った装飾を指で撫でながら、私は自分の益体もない感傷に思わず苦笑した。
「また来ます」
 そんな言葉が口をついて出たことに、自分で驚いた。気味の悪い体験をしたと敬遠してもいいくらいなのに、どういうわけか、自分の胸にどう問いかけても、それは本気の言葉だった。
「どうも。ごひいきに」
 老店主は何もかも分かっているかのような、不思議な穏やかさを浮かべた目で、そう微笑んだ。常連になるにはここは少々遠すぎるが、いずれまた、本当に訪ねてみよう。あのラッパの買い手が現れたかどうか、どんな客が買っていくのか、知りたいような気がするので。

 



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必須お題:「軍隊ラッパ」「瓦礫」「愚民どもには分かるまい」

縛り:「食事のシーンを入れる」「中毒者・依存症を出す(何によるものかは、自由)」「引き継がせる:名前、物、金、何でも可」

任意お題:「親の七ぴかりん」「咆哮」「桜」「いぶし銀」(一部のみ使用)


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