照れた顔がオカメインコに似ている、と恋人に言ったら、平手打ちを往復で喰らったあげくに連絡が取れなくなった。 可愛いと思ったのに、いったい何がいけなかったのだろう。
……という相談を自称宇宙人の同僚から受けて頭を抱えたのは、月曜日の昼下がりのことだった。 喫茶店は空いていた。わたしたちのほかには主婦らしき女たちの集団がひと組と、二人連れのおじいさん達、あとは営業途中にさぼって涼んでいるらしいサラリーマンがひとりだけ。わたしたちみたいな図書館員でなくても、平日休みという人はたくさんいるだろうに、平日の昼間にうろついている同年代の姿がやたらと少ないのは、いったいどういうわけなんだろう。 ここが地方だからか、あるいはわたしが思っているよりも世間では土日休みの人間が圧倒的多数を占めているのか。それとも平日の昼間に出歩くことに、みんななんとなく後ろめたさでもあるんだろうか。 同僚はいかにも落ち込んだふうに肩を落としているけれど、顔はまったくの無表情だ。ジェスチャーはともかく、地球人の表情を模倣するのはなかなか骨が折れることなのだと、いつだったか真面目な調子で話していた。どこまで本気かはわからない。 いや、本気は本気なんだろう。少なくとも本人にとっては。 「そのとき彼女、泣いてなかった?」 「もしかしたら」 そうでしょうね、とため息を落とすと、同僚は顔を上げてじっとわたしの目を見た。表情らしい表情がないにも関わらず、それが教えを請う生徒のまなざしだということは、なんとなく見分けがつくようになってしまった。長いつきあいというのは、しばし不本意なものだ。 「あのね」 言葉を探す数十秒の沈黙のあとに、わたしは口を開いた。同僚はうんうんと熱心そうにうなずいている。いつもどおりの無表情のままで。 「覚えておきなさい。日本の女性に、オカメは禁句」 そう言うと、同僚は首をかしげた。何か訊きたいことがあるけれど、質問していいのだろうかと躊躇しているのだ。 何? と顎でうながすと、自称異星人は背筋を伸ばした。 「オカメと、オカメインコは違うと思っていたのだが」 思わずため息をもうひとつ。前髪をかきあげて、ひとことずつ区切るように言った。「違うけど、それでも禁句。OK?」 「……OK」 うん、とうなずき返して、冷めてしまったコーヒーを一口すする。悪くない。冷めても美味しいコーヒーというのはなかなか貴重なんじゃないだろうか。 ガラス越しの外を見る。まだ七月上旬だっていうのに、真夏のような陽射し。アスファルトの上には陽炎が立っている。この先に待っている長い夏が思いやられるような光景だ。 「もうひとつ質問しても?」 同僚が顔を上げて、生真面目に問いかけてくる。目線でうながすと、彼は真剣そのものの口調でいった。 「オカメインコは可愛いと思うのだが、その感覚は地球人とそんなにかけ離れているだろうか?」 ああ、もう、なんて言ったらいいのか。 肩を落として空のカップをテーブルに置いた。スプーンが陶器に触れて、思いがけず大きな音が響く。言葉を探して窓の外に顔を向けると、老婦人がひとり、きれいな模様の日傘を傾けて通り過ぎていった。 視線を戻して真面目くさった同僚の顔を見る。何度目かのため息が漏れる。宇宙人と付き合うのは、難しい。
この向こうから来たんだ、と言いながらいつかこの男が指さしたのは、職場にあった星座の本の中ほどのページで、その指の下にあったのはヴェガだった。こと座の中で燦然と輝く、いわゆる織姫星だ。地球からは、二十五光年ほど離れている。 さらにその向こうからやってきたと、彼は言う。 二年ほど前のできごとだ。その日わたしは折悪しく、当時の恋人とこじれて別れるかどうかという瀬戸際だった。もっと間の悪いことにその日は生理前でいらいらしてもいて、仕事でも面白くないことが続いて、まあ要するにちょうど誰かに八つ当たりしたい気分だったのだ。だから、いつもだったら適当に聞き流すようなこの男の駄法螺に、まじめに反応してしまった。 「光速で飛んでも二十五年以上かかるところから、どうやってきたわけ。超光速航法でも見つけた? 地球のすぐ近くに出てくるワームホールでもあった?」 我ながらびっくりするくらい意地の悪い口調だった。 自分の毒に自分であてられて動揺するわたしに向かって、彼はいつもの真面目な顔で、真面目に答えた。 「まさか。最新式の船でも光の速さの半分も出ないよ。だから自慢の宇宙船ではるばる七十年かけて、やってきたんだ」 そう説明するあいだ、少しも目もそらさなかった。まるで当たり前のことをいうような、普通の口調だった。 「……あんた、いったい何歳なわけ」 思わずツッコんだ声からは、もうさっきまでの毒は抜けていた。 「僕らの星の数え方では、もうじき百八十二歳になる。地球換算では……何歳だったかな」 僕らは不老不死みたいなものなんだと、同僚は言った。そこだけなぜか周りの耳を気にするような小声だった。 あ、そう。間の抜けた声で、わたしはそれだけ言った。
「彼女が僕を許してくれる可能性はあるだろうか?」 その質問にすぐには答えずに、同僚の真面目くさった顔をいっとき眺めていた。髪型と服装が微妙にダサくて、やや痩せすぎの感はあるけれど、ごく平均的な顔立ちだ。五人そこに女がいれば、一人くらいはちょっといい男だと評するだろう。 オカメインコ呼ばわりされた女が相手を許す気になる可能性は、何パーセントくらいだろう。真面目に考えてみる。 難しい問題だ。彼女が自分の容姿にどれくらいコンプレックスを持っているのか。どれくらい本気で彼に対して恋愛感情を抱いていたのか。 情報が足りなさ過ぎて、なんとも言えない。連絡が取れないというからには厳しいような気もするし、冷静になれば話を聞く気になる可能性もゼロとは言えない。 なんせ堂々と日ごろから自分のことを宇宙人だという男だ。これと何か月か付き合っていたというのなら、突飛な言動には耐性があるだろう。 「まあ、あと一週間くらい連絡し続けてみて、それでも駄目だったら諦めたら?」 返事がなかった。三秒待って、気の進まない説明を続けることにした。 「ストーカー規制法っていうのがあってね。相手が嫌がるのにしつこく連絡を取り続けたり、家のまわりをうろうろしたりすると、法律に触れちゃうの。わかる?」 同僚は三秒考えて、わかった、君の言うとおりにしてみると言った。 それきり同僚は口をつぐんで、ちびちびとお冷を飲みだした。 体質的にカフェインが苦手なのだそうだ。喫茶店に来て何も頼まないのはマナー違反だと教えたら、コーヒーを頼むだけ頼んで、自分の分までわたしに押し付けてくれた。おかげでわたしの胃はコーヒーでたぷたぷだ。どうせなら違うものを頼んだらいいのに。 「地球人の恋人を作ることに、意味があるわけ?」 そんなことをたずねたのは、なんとなくのことだった。前のときのような意地悪な気持ちからの質問ではなくて、本当に無意識に、その問いはぽろっと口からこぼれてきた。 だって、不老不死とか言うし。それならせっかく恋人同士になったって、地球人なんかすぐに死んじゃうでしょうに――なんて、信じてもいないくせに、そんなことを思ったのだ。 同僚は軽く首をかしげた。それから生真面目ないつもの調子で、返事を口にした。 「おそらくは。人が生きることに、意味があるというのなら」 その言葉を聞いて、わたしは目を瞑った。三秒考える。考えて、それ以上考えるのをやめた。 かわりにあいた頭のスペースで、別のことを検討してみる。オカメインコみたいだというその彼女が、この宇宙人を許す気にならなかったと仮定する。そのあとこの男がまたほかの恋人を探すつもりになったとして、そのときわたしがこの男と付き合ってみるというのは、アリかナシか。
三十秒で答えが出た。ナシだ。 うっかり興味を引かれているのは事実だけど、同僚としてならともかく、恋人には向かない相手だ。何をするにもいちいち気を揉みそうだし、それに第一、わたしまでオカメインコ呼ばわりされるのはまっぴらだった。 「さ。もう出ようか。ここ、奢ってくれるんでしょ」 飲食店であまりに長居するのも、マナー違反になるんだよと教えると、同僚は二度瞬きをして、重々しくうなずいた。とても重要なことを教わった、とでも言いたげな仕草だった。 その生真面目な態度を見ていて、ふと苦笑が漏れる。ナシったら、ナシ。 コーヒー代を払う同僚に背を向けて、先に店外に出る。陽射しがまぶしい。いやになるほどよく晴れている。 そういえば、今日は七夕だった。 家から車で十分ばかりのところに、星を見るにはうってつけの公園がある。夜には天体観測と洒落こもうかなどと考えながら、陽炎のたつ舗装に足を踏み出した。
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お題「オカメインコ」「じいさん」「不老不死」。
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