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 夢の中で、父と炉辺の火を囲んでいた。
 故郷の村は寒いところで、霧の出た夜などには、よく家の中でも炉に火を入れた。その熱で湯を沸かし、山草を炒って煎じた茶で体を温めながら、父の語る昔話を聞いていた。
 父の膝では、まだ幼い弟が眠気を催してうつらうつらと首を揺らし始めていた。父は体の前で大きな手を組んでその体を支えてやりながら、静かな声音で、古い話を語った。
 母と出会って村に落ち着く前、父は世界中を放浪していたから、そのころに訪れた様々な土地の話を、よく私たちに語って聞かせた。だがその夜の話は、父自身が見聞きしたもののことではなく、もっと古い、遠い昔の祖先の話だった。かつて攻め滅ぼされた小国の話。
 母は父がそうした話をするのを嫌がっていた。このときの夢の中でも、少し離れたところで針仕事をしながら、ときおり咎めるような目を、父の口元のあたりに向けた。父もそれを承知で、何度か母のほうをちらりと見ては、済まなさそうな顔をするのだが、それでも語りやむことはせずに、淡々と話し続けた。王の代わりに巫女を戴き、家畜を飼って畑を耕しながら穏やかに暮らしていた、小さな国の人々の話。巫女の不可思議な力を恐れて、あきれるほどの軍勢をさしむけ、ひとり残さず殺せと命じた隣国の王と、その手からかろうじて逃げおおせた、わずかな人々の話……
 長い、長い話だった。やがて炉辺の炭が灰に変わり、夜が更けても、まだ物語は終わらなかった。弟はすっかり眠りこんでしまい、その背を父の大きな手が語りの調子にあわせて優しく撫でた。
 私の意識はいつしか家族と囲む炉辺を離れ、父の語る物語の中へ滑り込んでいった。
 夜闇に紛れて、ひっそりと足早に歩く人々の群れ。足元は悪く、ときおり誰かが躓いては、周りの者に支えられてまた歩き出す。幼子がわけもわからず怯えて母を呼び、シッと諌められてその口をふさがれる。言葉は禁じられ、誰も口をきかないまま、闇夜のなかをただ歩いている。話し声を見張りの兵士たちに聞き咎められれば、捕えられ、殺されるかもしれない。誰も口に出さない不安が、静かに、深く人々の群れを満たしている。
 誰かが声を殺して啜り泣き、またシッと咎める気配が続く。夜が明ければどうなるのか。逃げてゆく先のあてなどなく、ただ恐怖に追われて、闇雲に歩き続けるだけの旅路。その先に何が待っているのか、誰も知らない……
 目が覚めた。
 ずいぶんと昔の夢を見たものだと、はっきりしない頭で私は考えた。腹がひどく減って、喉も乾ききり、熱を持ってひりついていた。
 肩が重く痺れるように痛んだ。自分のいる場所がわからずに、私は何度も目を瞬いた。見渡せばそこは屋内で、木の枝を何か蔓のようなもので細かく編んだ壁があり、その隙間から、外の光が漏れ入っていた。壁の高い位置では、ところどころに複雑な編み目が拵えられて、小さな窓を形作っている。天井には梁が通され、そこに大きな肉厚の葉をしきつめて、屋根を葺いてあるようだった。
 私は床の上に転がされていた。いや、正確には干し草を編んだものが体の下に敷かれていたから、寝かされていたというのが正しいのだろう。粗略な扱いを受けているというよりは、おそらくこの家の住民も、普段からそうした簡素な寝床を使っているのだろうと思われた。
 昨夜の出来事がふいに生々しくよみがえった。
 ぶるりと身震いをして、私は体を縮こまらせた。ただの一矢であっけなく殺された若い狩人の、見開かれた眼が、いやになるほどあざやかにまぶたの裏に浮かんだ。あれも夢であってくれたなら。そう思わずにはいられなかった。
 震えてから気がついたのだが、どうやら熱が出ているようだった。寝汗をかいたらしく、体が冷たく湿っていた。それでも、見れば手当のあとらしく、肩には包帯のようなものが巻かれていたし、少なくとも何の拘束も受けてはいなかった。
 私は半身を起し、それと同時に、床板のきしむのを聞いた。
 見れば部屋の入り口には、撚った縄をたくさん垂らして、扉代わりにしてあった。それを掻き分けるようにして、二人の人物が入ってきた。
 ひとりは中年の男で、黒い髪と、深い緑の瞳とを持っていた。背は低いががっしりした体つきで、南方ではあまり見かけない色のうすい肌には、深くけわしい皺が刻まれていた。
 もうひとりは小柄な娘だった。昨日の少女といま目の前にいる娘が、同じ人物だと気付くのに、時間がかかった。明るい場所であらためて見れば、まだ子供といっていいような年ごろだった。こんな少女が、あんなふうにあっさりと人を射殺してみせたということが、私の気分をひどく沈ませた。
 男のほうは警戒の色濃い目で、じっと私を見おろしていた。その腰に、短い槍のようなものが差されているのを、私は見た。
 二人とも離れて立ったまま、なかなか口を開こうとしなかった。じきに私のほうで沈黙に耐えかねて、迷い迷い唇を湿した。何から言うべきか、決めるのは容易いことではなかった。私は彼らのことを知らなかった。下手なことをして怒らせれば、すぐさま殺されるのではないかという恐怖が、腹の底に張り付いていた。
 ひりつく喉に何度か唾を流し込んでから、私は口を開いた。
 ――手当をありがとうございました。
 自分に怪我を負わせた張本人たちに向かって礼を言うのも、間の抜けた話ではあったが、そのときにはそんなことを考える余裕もなかった。私の話すのを聞いた男は、ぴくりと眉を跳ね上げて、隣の少女のほうを見た。
 ――なるほど、お前の言うとおり、この男は言葉を話すようだ。
 それはやはり、失われた故国の言葉だった。強い訛りがあって、私が父から教わったものとは抑揚も語彙も少しずつ違っていたが、それも十分に理解できる範疇だった。男は私のほうへ向きなおり、
 ――それで、お前は、何者だ。
 するどい語調で、そう詰問した。その漠然とした問いかけにどう答えたものか、私は悩んだ。
 ――旅の者です。もとは北方の出ですが……
 男は怪訝そうに眉根を寄せた。訛りのせいで言葉が通じていないのかと、私は焦って言葉を足そうとしたが、男はそれを待たず、気短なようすで質問を変えた。
 ――森の外の連中とは、違うのか。
 私は慌ててうなずいた。その問いを言葉通りにとらえるなら、私もこの森の外からやってきた人間に違いなかったが、男の言いたいのはそういうことではないだろう。この森の外に暮らす町の人々を、どうやら彼らはひどく敵視しているらしい。だから、姿を見るなり射殺した。
 ――なぜ、我々の言葉を話せるのか。
 男はいまだ、警戒をとかぬ様子で私を問いただした。なぜとは、こちらが逆に問いかけたいくらいだったが、彼らを刺激するつもりにはなれなかった。私は素直に答えた。
 ――父の一族の言葉です。
 父はもともと放浪の一族だった。たまたま訪れた村で、母といい仲になり、そのまま居つくことを選んだのだ。
 だから私にとってその言葉は、話し慣れたものというわけではなかった。父は私にその言葉を教えたが、子どもの頃に常として使っていたのは、母の村の言葉のほうだ。
 使い慣れない古い言葉を、苦労して記憶の中から引っ張り出しながら、なんとか男の警戒を解こうと説明するうちに、思い当たることがあった。
 父の一族は、滅びた国の民だ。かつて祖国が攻め滅ぼされたとき、多くの者は殺され、わずかに生き延びた人々は散り散りになった。彼らの一部は父がそうしたように、他国の人々のあいだに紛れて暮らすことを選び、残りの人々の多くは、いまも世界中をさすらっている。
 祖国が滅びたのは、はるか遠い昔の話だ。それは何代も前の祖先から、口伝えにひっそりと語り継がれてきた物語、一族の者を除いては、誰からも忘れ去られてしまったような、遠い過去の話だった。
 かつて故国のあったという正確な場所さえ、私は知らない。知る人はもはやほとんどいないだろう。それでも旅先で行き会った相手が同胞とわかれば助け合う。その符牒がこの言葉だった。失われた国の、忘れられた言葉。
 長いあいだにわたって各地を転々とするうちに血は混じり、容貌だけを頼りに同族を見分けることは、もはや難しくなっている。血ではなく、この言葉を使う者こそが同胞なのだと、かつて父は私に教えた。肉体を流れる血ではなく、語り継がれる言葉と物語の血脈こそが、一族の証だと。
 このときの私にはまだ、旅先で同胞と行きあった経験はなかった。故国のことをすでに忘れ、かつて自分が滅ぼされた国の民だったことを知らずに暮らしている者も、いまでは多いはずだ。中には行き会っても、同胞と知らずにすれ違った人もいたのかもしれなかった。
 父の語ったところによれば、彼らの中には、一人きりでさすらうものもいれば、家族で旅する者もいるという。行商を生業にする者も、旅芸人として歌や踊りを売りものにする者もいる。そうして他国の人々と交わりながら、暮らしている。
 この森の部族も、その末裔なのだろう。彼らの祖は、そうした放浪の暮らしを良しとせず、どこをどう流れてきたものか、とうとうこの森の中に逃げ込んだのだろう。そうしてずっと、隠れ住んできた。
 だが、たどたどしい私の説明を、男は半信半疑のていで聞き流した。
 ――お前の言う話を信じるならば、
 聞き終えて、男は言った。
 ――我々は、遠い過去に分かたれた、同族の裔だというわけか。
 ――そうだと思います。
 男は短く嘆息を吐いた。眉間に深々と刻まれたままの皺が、男が私に気を許してはいないことを雄弁に語っていたが、それでも男は、腰にさしていた短槍には手を伸ばさなかった。
 ――ともかく、我々に害を及ぼす意思はないということだな。
 私は一も二もなくうなずいた。そして後に、そのことが私の胸を刺す後悔のひとつになった。
 このときにはそうするほかに、どうしようもなかった。危害を加えたのはあなた方のほうだろうと、皮肉のひとつも飛ばしたところで、それが何になっただろう。だが私はあのとき、それが無為だとしても、怒ってみせるべきではなかっただろうか。殺された哀れな若い狩人のために。
 しかしこのとき、私の頭のなかは自らの身の安全のことだけで手いっぱいだった。男は一応は納得したという風に浅くうなずいて、傍らの娘に、顎を振ってみせた。
 言葉のやりとりはなかったが、娘は察したように部屋を出て、すぐに木彫りの椀を手にして戻ってきた。それを見届けると、今度は男のほうが出て行き、こちらはそのまま戻らなかった。足音が遠ざかるのを待って、少女が小声で囁いた。
 ――悪かったわ。
 少女は椀を私の手に持たせて、目を伏せた。
 ――てっきりあの連中だと思ったの。傷は痛む?
 その声には思いがけず、いたわりと罪悪感とがにじんでいた。
 ――それほどでもない。
 そう強がって、私は椀に口をつけた。一見したところでは粥のように見えたが、どうやらそれは、芋を煮て潰したもののようだった。口に入れると慣れない強いにおいがしたが、飢えのほうが勝っていた。私が椀の中身をのこさずきれいに平らげてしまうと、少女は安堵したように目元を和ませた。
 ――いきなりたくさん食べると、体によくないから。あとでまたあげる。
 少女の青い瞳を、私はまじまじと見た。森の中で見た獣のようなまなざしと、目の前の娘の見せるやわらかい瞳が、やはりどうしても、うまく重ならないのだった。
 だがそのことには触れず、私は素直に椀を返すと、休ませてもらうことにした。緊張が解けたためか、それとも腹に食物が入ったせいか、ひどく眠かった。
 屋外から響く、騒々しい鳥たちの声を遠くに聞きながら、私は再びの眠りに落ちていった。

 次に目を覚ましたとき、まだ熱は下がり切っていないようだったが、それでも体はずいぶん楽になっていた。
 すでに日は高いようだった。ずいぶんと長く寝たような気がしていたから、もしかすると丸一日近く、眠り続けていたのかもしれない。
 眠っている間に着替えさせられていたことに気づき、私は少々恥ずかしい思いをした。あの少女が看病してくれたのだろうか?
 着させられていた服は、男や少女が着ていたものと同じ袖の長い上着と、足首までを覆う、見慣れない形の袴だった。
 あのあたりの地方の人々は、ほとんど半裸といってもいいような、大きく肌を出した服を着ているものなのだが、この森の部族は、きっちりと手足を覆う衣服を着込んでいた。布地の織り目はざっくりとして粗く、その分だけ風通しがいいので、見た目ほどには暑苦しくもないのだが、それにしても森の中の暮らしには、邪魔になりそうなものだった。草木の棘や虫から肌を守る意味があるのか、あるいははるかな故国の暮らしの名残を、頑なに守り続けているのか。
 体を起こすと眩暈がして、傷口にひきつれるような痛みが走った。
 小屋の中には誰もいなかったが、すぐ外に、気配があった。ひそひそと交わされる小声の会話、おさえた笑い声。小さな子供たちの気配だった。
 ――入っておいで。
 ほほえましい思いで呼びかけると、慌てふためくような物音と、小突きあう気配が続いたあとで、いかにもおっかなびっくりというように、少年が縄戸をくぐってきた。声から想像したとおり、まだ小さな男の子だった。くりくりとした青い瞳には、警戒といくばくかの不安と、それらをもってしても隠しようのない、強い好奇心の色がにじんでいた。
 あとに続いて、三人ばかり子どもらが入ってきて、小屋の中は急に狭苦しくなった。
 ――兄ちゃん、どっから来たの。
 ――ドウゾクってなんのこと。
 先の話から立ち聞きしていたのだろう、少年らは口々に質問を重ねた。
 ――森の外から来たんだよ。
 答えたとたん、子どもたちの表情に不安がよぎった。落ち着きなく互いの顔を見合わせてから、中のひとりが思い切ったように、強がる声を出した。
 ――森の外には、人間そっくりの顔した悪鬼(オォド)がいるんだって、父ちゃんがいってたよ。
 ――兄ちゃん、人間じゃないの。
 その言葉に、私は眉をひそめた。似たような言葉を、つい先日も耳にしたなと思ったのだった。
 あの殺された若い狩人が、言ったのではなかったか。森の中に人間は誰も住んでいない、いるのは人のような姿をした魔物だと。
 私はよほど険しい顔をしたものか、子供らが怯えるように身じろぎをした。あわてて首を振って、私は言った。
 ――私は人間だよ。君らと同じだ。
 ――そうだよね。
 素直に信じた様子ではにかみあって、少年らは互いを小突いた。中の一人が言った。
 ――馬鹿、だから言ったじゃないか。悪鬼は人間の格好は真似できても、言葉は話せないんだろ。
 その言葉に、私はぞっとした。それでもとっさに、突き上げてきた嫌悪を飲み込んで、微笑みを保った。子どもたちを怯えさせたいわけではなかった。
 ――私は、ずっと遠くからやってきたんだ。森の外の、とても遠い国にも、君らと同じ言葉を話す人たちがいるんだよ。
 言うと、少年らはわっと湧き立った。目を輝かせてはしゃいでいる子もいたし、初めて聞く話を鵜呑みにしていいものか慎重に吟味している、考え深そうな子もいた。
 ――遠くって、どれくらい遠く。
 ――歩いて何か月もかかるようなところさ。
 その言葉は、彼らにはぴんとこないようだった。無理もない、森のなかだけでも広く、彼らはまだその一部しか出歩いたことはないのだ。町の子ならば、隣まちからやってくる役人や、行商といった人々の姿を見かけることもあるだろうが……
 ――君ら、もうそんな年で狩りをするのかい。
 そう訊いたのは、話を変えたかったからというのもあるが、彼らの腰に、玩具じみた長さの小さな槍があったからだ。
 ――あったり前だい。どんなちびだって男なら、狩りくらいするに決まってら。
 ――兄ちゃんの村じゃ、違うの?
 ――そうだね。僕の生まれたところでは……
 ――あんたたち、けが人のそばで騒がないの。
 声がして、少年たちは飛び上がった。
 あの少女が、戸をくぐって入ってくるところだった。
 追い立てられた子供らがみな出て行ってしまうと、彼女は約束通り、芋粥をくれた。それから褐色の、小さな塊も。何かと思ってにおいをかげば、それは蜂の巣のかけらだった。中には黄金色をした蜂蜜が、みっちりと詰まっていた。
 粥の中には昨日と違って、刻んだ香草や肉の切れ端が入っており、ひどく食欲をそそるにおいがした。物も言わずがっつくようにして食べると、少女がくすりと笑った。恥ずかしくなって、私は頭を掻いた。
 ――傷のぐあいは、どう。
 ――ずいぶんいいよ。
 それは強がりというか、ほとんど社交辞令のようなものだった。少女にもそれは伝わったのだろう。かすかに目を伏せて、彼女は私の包帯を替えた。
 ――矢じりに毒を塗るの。
 ぎょっとして私が身を引くと、少女はその様子が可笑しかったのか、歯を見せて笑った。
 ――おとついは大物を狙ってたわけじゃないから、そんなに強い毒は使ってないわ。でも、悪かったと思ってる……
 獲物の体の大きさに合わせて、使う毒を変えるのだろう。少女はうなだれて、私の肩の包帯から目をそらした。
 ――あなたが、奴らの仲間と話すのを聞いていたの。だから……
 少女は歯切れ悪く言った。奴らというのは、殺されたあの狩人のことだろう。
 ――君らと、その……
 言葉を選びながら、私は言った。
 ――外の町の連中は、どうしてそんなにいがみ合っているんだい。
 何を訊かれているのかわからないというように、少女は瞬きをした。
 ――その、顔を見るなり射かけるくらい憎いんだったら、これまでにもそれなりの出来事があったんじゃないのか。憎みあうようになった、きっかけというか……
 ――あいつらは悪鬼よ。
 ――だけど、同じ人間じゃないか。
 とっさに言い返したが、少女はあっさりと首を振った。
 ――人間じゃないわ。人間のような姿をしているだけよ……ねえ、あなた、やっぱりあいつらの仲間なの。父さんには黙ってたのよ、あなたが奴らと同じ言葉で話してたの……
 少女の手がさりげなく腰の後ろに回り、短槍の柄にかかっていることに気が付いて、私はぎくりとした。
 ――そんな物騒なもの、出さないでくれ。僕は君たちに危害を加えるつもりなんか、全くないよ。昨日もそう言っただろう……
 少女はその言葉の真偽をたしかめるように、じっと私の眼を見据えた。間近で見ると、彼女の瞳は、深い青色をしていた。
 もっと北のほうに、こういう瞳の色をした人々がいる。私の父も、この少女のような鮮やかな色彩ではないが、緑がかった青い瞳をしていた。我々は本当に同族なのだと、ようやく実感がわいた気がした。
 彼女のほうも同じように感じてくれていればよいのだが。そう考えながら、私は目をそらすのをこらえ、生唾を飲み込んだ。
 彼女はやがて槍から手を放して、ゆっくりと語り始めた。
 ――ずっと昔の話よ。私たちの村がこの場所に落ち着く前、人間のすがたをした悪鬼たちに追い立てられて、たくさんの人が殺された。ほんとうにたくさんの人が。それまで人の数は、ずっと多かったの。もっと広い土地で、おおぜいで住んでいた。だけどここまで追いやられ、巫女さまも殺されて、私たちには神様の声が聞こえなくなった……
 我々の祖が故郷を追われた遠い遠い時代のことを、彼女らはそんなふうに語り継いでいるらしかった。
 私は暗澹たる思いにとらわれた。彼女には知る由もないだろうが、かつて祖国を攻め滅ぼした隣国の王は、やがてまた別の国の軍隊に斃されたという。一族はすでに、恨むべき仇を持たないのだ。
 その、終わったはずの古い時代のいさかいが、彼らのなかでは、いまだに続いている。
 当時を知るものはとうにみな死に絶えているというのに、憎しみだけがいつまでも生き残り、一人歩きをしている。それはひどく不毛なことのように思えた。
 かつての祖先にとって、旅暮らしは強いられた苦難だったかもしれない。だが、私自身はといえば、むしろ好きこのんで各地を旅してまわっていた。滅ぼされた祖国の話は、私にとっては遠い過去の物語、悲しいおとぎ話のようなものにすぎなかった。
 だからかもしれない。私には彼らの憎しみが、悲しく滑稽なものとしか思えなかった。
 人は言い伝えなどという漠たるものだけで、そうまで人を憎み続けられるものだろうか。互いに相手のことを、人ではない、人の姿をした魔物だとまで言いきって、ためらいもなく殺せるほどに。
 あるいは私に彼らの心が理解できないのは、私が半分しか彼らと同じ血を持たないためだろうか。もし父がまだ生きていて、この村のことを知ったなら、また違う感慨を抱いたのだろうか……
 私たちは黙り込み、重苦しい沈黙が落ちた。やがて私は顔を上げて、話を変えようとした。いまは何を言っても、届かないような気がした。
 ――君たちは、男も女も狩りをするのかい。
 その言葉に、少女ははにかんだ。
 ――ほんとうは、男たちの仕事なの。でも私は、漁が下手だから……。あなたの村ではどうなの。やっぱり狩りをする女はいない?
 ――そうだね、僕の故郷では、女の猟師は見なかった。でもほかの土地には、いろんな人たちがいるから。女の人たちが大きな犀を狩るのを、見たことがあるよ。
 ――ほかの土地……
 少女は困惑した表情になった。私の語るその人々が、同族のことなのか、それとも彼らのいう悪鬼のことなのか、勘繰ったのかもしれない。
 過去に私の旅をしてきた様々な土地の中には、近隣の地域との交易がさかんに行われている場所もあれば、ほかの集落とのやりとりのごく限られた、辺鄙なところもあった。だがこの森の部族のように、外の人間とのいっさいの交流を――弓矢以外の接触をすべて断ってしまっている人々には、まだ出会ったことがなかった。
 彼女の心のなかで、世界はどんなふうに描かれているのだろうと、私は考えた。森のなかだけで完結する世界。人間そっくりの恐ろしい悪鬼に取り囲まれた森……
 ――ねえ、森の外に、あなたの同族はどれくらいいるの。
 私は意表を衝かれて、少女を見つめ返した。彼女の瞳は、慎重な口調とはうらはらに、明るく輝いていた。先ほどの少年らと変わらないような、たくましい好奇心の色が、そこにあった。知らず微笑んで、私は答えた。
 ――私たちの同族、だろう。
 わざわざ言い直したのは、もちろん私が彼女の同胞だということを印象付けて、身の安全を図りたかったという事情もあったが、そればかりでもなかった。彼女に外の世界を、もっと身近に感じさせたかった。
 ――そう、私が直接会ったわけではないのだけれど、父が話したところによると、少なくとも何百人か、あるいはもっといるようだよ。みなひとつところに住んでいないから、誰にもちゃんと数えられないんだ……
 ――何百人。
 少女はいって、目を白黒させた。
 ――この森のなかにも、それくらいの人がいる?
 ――そんなにはいないわ。
 少女はため息のようにいって、遠くを見る目をした。
 次に何を口に出すべきか、私はひどく迷った。下手なことをいえば、また魔物扱いされるかもしれない。だがこういう目をするこの娘になら、時間をかけて話せば、わかってもらえるのではないかと、そういう気がしはじめていた。異なる言葉を使い、異なる暮らしを送る外の世界の人々も、彼らと同じ心をもつ、人間だということが。
 だが、私が何かを言うよりも早く、少女はぱっと立ち上がった。
 ――もう少し、休んでいたほうがいいわ。あなたまだ、ひどい顔色よ。
 傷を負っていないほうの肩を押されて、私は大人しく横になった。たしかに頭痛がしはじめていたし、体中に重い疲労がよどんでいた。
 出てゆこうとする少女に、思い立って訊ねた。
 ――君、名前は?
 少女は肩越しに振り返り、少しためらってから、
 ――イアラ。
 そう名乗った。それは、花を意味する言葉だった。私はつい頬をほころばせた。少女は頬をかすかに赤らめて、唇をとがらせた。自分でも、似合わないと思っているのだろう。
 ――いい名前だね。
 慌ててそう言ったが、少女はぷいと背を向けてしまった。駆け去ってゆく背中が、怒っていた。
 おかげで私は名乗り返しそびれてしまった。それが良かったのか悪かったのかは、いまでもわからない。
 遠ざかっていく足音を聞きながら、私は目を閉じた。
 眠りは速やかに忍び寄ってきた。森から打ち寄せる鳥たちの声の奔流も、遠くの風の音のように聞こえ出していた。


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