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 なあ、ヴィトラカよ。俺はいつだったか、海の話を聞かせたことがあったな。そうだ、どこまでもひたすらに水が満々と湛えられて、その岸辺には、いつも波が打ち寄せている。なに、嘘だといわれたって? その辺のガキどもにか。ったく、あいつらときたら、自分の足で町の外を歩いたこともないくせに、簡単に人の話を法螺だと決め付けやがる。まあ、あいつらの親がそういう態度なんだから、子どもはそりゃあ、真似するさな。
 なあ、真面目に聞けよ。ここから南西にずっと行くとな、そこには本当に、海があるんだ。
 はるか南西には、砂漠がある。足元には硬い大地がなく、見渡す限りが熱い砂に覆われている。そこを越えてさらにずっといけば、どれほどしっかりと工夫を凝らしたところで、とても人の踏み入れないほどの熱さになる。地面の上だって焼けて、とてもじゃないが、昼間に近寄れたもんじゃない。夜の、日が落ちてだいぶ経ったころなら、かろうじて足を伸ばせるっていうところだ。それも、もたもたしていて、日が昇ってしまえば、あっという間に干からびて死んじまうだろう。
 その砂漠を越えてゆくとな、その先には海がある。水はぐらぐらと沸きかえって、夜でももうもうと蒸気が立ち込めている。海の上はろくすっぽ見とおせない。しかもその上、あたりは轟々と風が吹きすさんでいる。ああ、その先までは、さすがに俺も見たことはない。見たやつは誰もいないだろうさ。その前に、茹で上がって死んでしまうからな。
 あるいはひたすら北西へと向かうと、そちらには人の住める、冷たい海がある。そこでは、海辺にもたくさんの村があって、海の中には、川に棲んでいるのとはまた違う魚や、貝がいる。そこで人々は、漁をして暮らしている。海の上に住んでいるやつらもいる。こう、木材を組んでな、海の上に張り出した家を作るんだ。たまに嵐がきて、壊される。そしたら風が静まるまで、どっか陸の洞窟なんかでしのいで、嵐が静まったら、また一から家を作るんだ。その家の窓から釣り糸を垂れて、獲れた魚を捌いて喰う。暑くなったら、そのまま海に飛び込んで泳ぐ。いい暮らしだよな。
 まるきり船の上で暮らしているという連中も、どこかの海にはいるんだそうだ。船というものに、俺は何度か乗ったことがあるが、あれはな、天気が悪くなると、揺れる。ため池に浮かんだ木の葉も、風が吹いたら揺れるだろう。ああいうもんだ。よくそんなものに、何年も乗り続けていようと思えるもんだよな。しかし、船暮らしの連中は、天気を読む不思議なわざを身につけているんだそうだ。風が吹き荒れそうになったら、早くからそれと察してな、こう、先回りしてよけるらしい。
 嘘をつけって、お前なあ。まあ、信じないならそれでいいけどな、その口調はいただけねえ。
 なあ、ヴィトラカよ。お前もそろそろ少しは、娘らしくしてはどうだ。お前、そんな調子では、通ってきてくれる男もおらんだろう。はは、ろくすっぽ顔も出さないくせに、父親面するなってか。そりゃあそうだ。

 海の向こうには、何があるのかって?
 西の涯の海、その向こうに、何があるのか、俺にはわからん。海辺の連中に聞くと、何もないという。少なくとも、船でいける限りのところには、陸地は見当たらんのだそうだ。信じられないような顔をしているな。広いっていったって、たかが水溜りじゃないかって、思うんだろう。俺もそう思ったさ。だがな、ヴィトラカ、信じられるか。この世界ではな、陸地よりも、水に沈んでいる場所のほうが、ずっと多いんだそうだ。
 もっとも、そういっている連中も、海辺に住んでいて、内陸のことはその目では見て知らないわけだからな。俺らが世界の涯まで陸地が続いていると思っているように、自分たちが信じていることを、そのまま語り継いでいるだけなんだろうさ。さて、どっちが本当なんだろうかな。
 なに? 南の海の、その先には、何があるかって?
 くくっ、お前ってやつは、つくづく俺の娘なんだなあ。一面に煮えたぎって真っ白に曇り、魚の一匹も棲めない、そんな場所の先に、何かがあると、お前は思うのか。
 怒るな。笑ったからっていって、馬鹿にしてるわけじゃねえよ。
 西の海には、涯がないように見える。じゃあ、南はどうなんだろうな。煮えたぎる熱湯の海の、向こう側は。やっぱり何も、ないんだろうか。

 ヴィトラカよ。この地面の下、ずっとずっと掘り進んでいったら、そこに何があるか、お前は知っているか。
 まあ聞け。お前の聞きたいことに、この話はちゃんとつながっているから。
 地面の下を、森に積もる枯葉の下を、どこまでも掘っていっても、そこにずっとやわらかい土が詰まっていると、お前はそんなふうに思ってはいないか。
 この地面をずっと、ずっと掘っていくとな、やがてどこかで、固い岩にぶつかるんだ。深さに違いはあるが、どの土地でもそれは同じなんだそうだ。俺たちが土を耕し、そのうえに作物を作るのは、大地の上の、ほんの薄皮一枚の話なんだな。
 お前は固い岩に、穴をあけることができるか。そう、無理な話だ。だが、それをやってのける連中も、この広い世界には、ちゃんといる。ああ、これも話したことがあったか。そう、土人と呼ばれる連中だ。やつらは鶴嘴と火薬をうまく使って、固い岩の中にも、なんということなく穴をあけてしまう。
 その連中が、地面の底の深いところに掘った、秘された道があるという。噂だ。この目でみたわけじゃない。実際に通ったってやつの話を、じかに聞いたこともない。ただ旅先で、そんな話を耳に挟んだっていうだけだ。
 ともかく、その地面の下の道は、海の底よりもずっと深いところまで、延々と深く下っていくんだそうだ。……おい、近場で試すんじゃないぞ。ため池の下をくぐる道なんぞ、ガキの力で作れるもんか。
 その海の底の道っていうのは、どんなところなんだろうなあ。地面の下だからな。少なくとも、日の光は届かない。さぞ、真っ暗な道なんだろうな。ずっと日が当たらないんだろうから、寒いのか、それとも、蒸し暑いんだろうかな。
 ともかく、噂によると、その道をひたすら歩き続けると、やがて「向こう側」に抜けるんだそうだ。
 向こう側がどんなところなのかって? 俺は知らないな。ただ、そうだな、ここから南に行けば行くほど、基本的には暑くなる。それでもどんどん先に行けば、やがては煮えたぎる海がある。だからその向こうは、石も鉄もどろどろに溶けるような、炎の渦巻く世界だと、そんなふうに考えるのが、普通なんだろうか。なあ、お前はどう思う?
 そんなところに暮らすものがいるとすれば、それは神々か、精霊か、それとも死者か。
 それともあんがい、そこにも、当たり前の人間が住んでいたりしてな。
 ふ。そうだったら面白いっていう話だよ。あんまり真に受けるな。

 なんでそんなに、世界中を見て回らなきゃならないのかって?
 さてな。考えたこともない。
 血、かもしれねえな。俺の親父は、風の一族だったというから。
 聞いたことがないか。そうだよな。ここらの連中は、そういうやつらがいることさえ、知らないものな。
 風の一族っていうのは、流浪の民だ。流浪って、わかるか。俺みたいにふらふらして、一つところに住まない人間のことだ。
 いや、ミシエゴの民とは違う。あいつらは、定期的に同じ道を往復するだけだろう。まあ、俺の親父は、あいつらの隊商に混じっていたそうだから、あながち間違いでもないんだが。
 なんでそういう暮らしをする必要があるんだろうな。同じところで、おとなしく暮らしてりゃ、それでいいじゃないかって、そう思うよな。山が崩れて住めなくなったとか、土地が枯れて作物が育たなくなったとかいうならわかる。だが、そこに食い物があって、水があって、寒さをしのげる場所があるのなら、わざわざ放浪する必要が、どこにある。そう思うだろう。
 俺だってそう思うよ。だけどな、風が呼ぶんだ。
 風はしゃべらないってか。くくっ。まったく、可愛げのないガキだ。

 なあ、ヴィトラカよ。お前、次に俺が来るときまでに、少しは女らしくなってろよ。そんなつっけんどんな物言いばっかりしてねえでよ。そんなんじゃ、お前、男どもも近寄ってこないだろうが。
 男なんかいらないってか。馬鹿たれ、男と女ってのはな、いいものだぞ。
 ろくに顔も出さないお前がいうなって? ふ。まだまだガキだな。俺がどれだけ、お前の母親に惚れてるか、見てわからないんだからな。
 まあいい。
 さあ、もういいかげん、ガキは眠る時間だ。明日は俺は早くに発つからな。見送りはいらねえよ。ゆっくり寝てるといい。
 ああ、今度は、ずっと北のほうに行ってくるつもりだ。土産話を楽しみにしていろよ。……ふ、そういいながら、ほんとうは、聞きたいんだろうが。お前、なんだかんだいって、目が輝いてるもんな。まったく、俺の娘だよ。
 ああ、北だ。お前にはたしか、話したことがあっただろう。ずっと北のほうには、一日じゅう陽が沈まない国があるらしい。よく覚えてるな。そうだ、とこしえの黄昏の国だ。さあな、寒いところらしいとは、聞いたが。国っていったって、そんなところにいったい、誰が住んでいるというんだろうな。精霊か、妖精か。それとも本当に、死者の国かもしれねえな。くくっ。
 嘘だと思うか。まあ、それでもいいさ。もし嘘じゃなくて、この目で見ることができたなら、また話して聞かせてやるよ。次に帰ってきたときに、な。
 それまで、達者でな。ああ、おやすみ。

(終わり)

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