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 設計畑には変人しかいない、というのは赴任半月めのときのジンの言だ。その言葉の客観的な真偽と他人事ぶりはさておいて、ヴェド支社の設計部にくせの強い人間が多いのは間違いない。
 エンジニアのアンドリューは、その筆頭だ。お気に入りの音楽がないと仕事が出来ないといって、勤務時間中にもかたときも私物のイアホンを外さない。
 彼はいついかなるときも――仕事中も移動中も風呂に入っているときも、睡眠中でさえ、彼のお気に入りの音楽を聴きつづけている。それでたまには静寂が恋しくなったりはしないのかと、周囲が不思議になるくらいなのだが、どうもそういうことはないようだ。
 いま彼が配置されているこの設計部は、作業音楽とは縁がないが、BGMが慣習になっている職場にいたときは、選曲が気に入らないといって、わざわざ専用のノイズキャンセラを作って自分の耳に届く音を消していた。その上からお気に入りの音楽を聴くのだ。
 ノーミュージック、ノーライフ。けっこうなポリシーだ。上司にどれだけ叱責されようが嫌味をいわれようが、アンドリューにちっともこたえるそぶりはなく、近ごろではもうなんだか皆がどうでもよくなって、見て見ぬふりを通されている。
 彼にいわせれば労働歌の文化は、地球人類がまだ猿だった太古の昔から連綿と受け継がれてきた、じつに理にかなったシステムなのだそうだ。曰く、みなが同じようにしないのが理解しがたい。
 ノリのいい音楽で常に気分を上げていくのが、能率的な作業遂行の秘訣――表だって同意を得られることはあまりないが、アンドリューはそのようなことは気にしない。
 その論が正しいかはさておき、彼がそのBGMのせいで人の話を聞き逃したり、音楽に熱中しすぎて手を止めたりしているようすは、特にみられない。それどころか彼は非常に腕のいいエンジニアで、これまでに上げてきた実績には、上司を黙らせるくらいの力は十分にある。
 彼のどこが筆頭扱いされるほど変なのかというと、そのイアホンが見た目だけの飾りで、実機能としてはまるきり役に立っていないというあたりだろうか。
 アンドリューの本当の音楽スピーカーは、外科的手術で側頭に埋め込まれた再生装置で、これは脳に直接信号を送る形で音楽を再現するので、外にはいっさい騒音を漏らさない。
 つまり、そのお飾りのイアホンさえ装着していなければ、アンドリューが音楽を聴きながら仕事をしているなんていうことは、周囲にはわからないし(本人がノリノリで歌いだしたりリズムをとったりしなければの話だが)、そうすれば上司とのあいだにいらない波風を立てることもない。
 それなのになぜ、わざわざ古式ゆかしき外観のイアホンを耳からのぞかせて、いかにもいま俺は音楽を聴いてるぜ! というファッションを、彼は貫いているのか。
 そのほうが気分が出るから、だそうだ。もう慣れ切ってしまって、同僚は誰もいまさらいちいちつっこまない。

 そのアンドリューが、珍しくインプラントの音楽再生装置を停止して、皆にも聞こえるように音楽をかけていた。古い戦争ムービーにでも小道具として出てきそうな、古色蒼然たるラジカセ――にそっくりの見た目をよそおった、最新式の音楽プレイヤーを持ち込んでいる。
 そんな趣味的なシロモノを、いったいどこから持ってきたのかというと、どうも自分で組み上げたらしい。工場から余った部品をがめているところを、複数の社員から目撃されている。
 フロアじゅうに響き渡る大音量だった。終業時刻は過ぎたとはいえ、まだほとんどのスタッフが残業している。
 そういう状況で、まっさきにうるさいといって怒りだしそうなジンが、これまた珍しいことに、手を止めて音楽に聴き入っている。
 それも無理もないくらい、美しい歌声だった。
 独唱だ。楽器の伴奏はないのだが、ときおり何か低い、ゆったりとした汽笛のような音が混じる。それがメロディーを、ふしぎと邪魔せずに調和している。
 歌い手の音域は非常に広い。トゥトゥの歌声だ。
「――いい歌だな」
 再生が終わったところで、ジンが思わずというふうに呟いた。その肩に、アンドリューが嬉しそうに腕をまわす。
「お前に音楽を理解する心があるっていうのは、嬉しい驚きだな」
 いって、アンドリューはジンの肩をばんばん叩く。無駄に力が強い。ジンがよろけてもちっとも気にせず、彼はふと気付いたように首をかしげる。
「そういやお前、せっかくこっちに来たのに、仕事仕事でまだほとんど遊んでないだろ」
「誰のせいだ?」
 呆れて、ジンは半眼になる。なんだかんだと面倒な仕事を押しつけてくるのは、たいていアンドリューだ。
「お前の要領が悪いだけだろ。遊ぶ時は遊ぶ、働くときは働く。オンオフの切り替えが大事なんだよ。ちょっとくらい休んで、小旅行にでもいってきたらどうだ?」
 アンドリューはいい考えだというように、自分の言葉に何度もうなずいている。
「――旅行っていったってなあ」
 ぼやくジンに、アンドリューは首をひねる。それからああ、と声を上げた。
「そうか、まだ出られないのか、お前」
 ジンは肩をすくめた。
 地球から移住してきた人間は、半年間は、移民街の外には出られない。それはトゥトゥの国家のどこかから要望があったというわけではなく、地球人の側が自発的に定めた、防疫のための条約だ。
 潜伏期間がもっと長い病気もないとは言い切れないが、航海中の期間もあるし、それに血液検査をはじめとするヘルスチェックは、到着前後に何度も重ねられている。現実的な妥協点として、半年――惑星ヴェドの暦でいう半年だから、およそ二〇〇日の線が引かれている。
 地球人の罹患する病気が、トゥトゥにも感染するという可能性は低いが、ウイルスや病原菌がトゥトゥの生態にあわせて変異する可能性は、捨てきれない――その逆もありうるように。
「まあ、マルゴ・トアフの中にも遊ぶ場所はあるさ。トゥトゥの歌に興味が出たなら、市民ホールに行ってみるといい。――ああ、ちょうど今日あたりが狙い目だぜ」
 端末のカレンダーをチェックして、アンドリューがいう。
「コンサートでもあるのか?」
「市民コンサートだけどな。こっちまで来てくれるプロの歌い手はなかなかいないが、アマチュアでも、じゅうぶん聴く価値はあるよ」
 アンドリューの言い分には説得力があった。なんせトゥトゥの音楽というのは、地球でもおおいに人気を呼んでいる。
 音楽データや絵画の複写のような情報商品は、地球との交易品目として、最大ベースのものになっている。というのも、星系間で品物をやりとりするのには、かなりの費用と時間がかかるからだ。そこまでのコストをかけても交易する価値のある商品というのは、あまり多くない。
 極端な話、こちらで発明した最新技術で作り上げた商品があったとして、それを地球まではるばる輸送しても、届いたときには向こうでは、とっくに時代遅れになっている可能性さえある。
 それに比べて、データのやりとりならば、ずっと早くできる。早いといっても時間はかかるが、ものを送るよりはずいぶんましだし、費用も安価で済む。実際のところジンも、地球にいたときに、何度かトゥトゥの楽曲を買って聴いたことがあった。
「だいたいトゥトゥって、歌うのが好きだよな。工場のやつらなんか、しょっちゅう歌いながら手を動かしてるしさ」
 嬉しそうにいうアンドリューには、トゥトゥの生歌が聴きたいがためにヴェド勤務を希望したという逸話がある。しかしそのためにエンジニアになったというのがどこまで本気なのかは、本人しか知らない。
 それほど音楽が好きならば、エンジニアなどせずに音楽業界で働いていてもよさそうなものだが、商業音楽の傾向と彼の嗜好には、ずれがあるらしかった。
「データならネットで買えるけど」ラジカセもどきをこつこつと叩いて、アンドリューは笑う。「でも、生で聴くとやっぱりぜんぜん違うぜ」
「そうだな……行ってみるかな」
 顔を上げて、ジンは隣の席を振り返る。「リオ、君も行かないか」
 驚いたエトゥリオルは、羽毛を膨らませて、きょろきょろ首を回した。
「僕、ですか?」
「君もこのごろ、ほとんど職場との往復になってるだろう?」
 エトゥリオルは何度かまばたきをして、それから頭を下げた。
「――ありがとうございます。お供します」
 その仰々しい言い回しが可笑しかったらしく、アンドリューが吹きだす。「お供、ねえ」
 周りで話を聞いていたほかのエンジニアたちまで、つられて笑いだす。なにを笑われているのかわからずに、エトゥリオルはきょろきょろと彼らの顔を見渡して、首をかしげた。

  ※  ※  ※

 夕暮れ時のマルゴ・トアフのステーションは、光に満ちていた。数えきれないほどの案内灯、照明、店の看板を彩るライト。
 この時間にトラムを下りてくるのは、出張や旅行から帰ってくる地球人が多い。逆にいまからトラムに乗り込むのは、自宅に戻るのだろう、トゥトゥの労働者たちだ。
 そんな流れに逆らうように、ひとりのトゥトゥがいま、ホームに降り立った。
 背が高い。体つきは引き締まって、どちらかというと細身なほうだが、骨格が大きい。羽色は腹側では真っ白で、背中や翼に入った斑は、オレンジがかった鮮やかな褐色をしている。その模様がまた華麗だった。トゥトゥ的にいうなら、いかにも女にモテそうな外見だ。
 鼻歌まじりに、彼は階段を上る。あちらこちらに気をとられながらの、いかにも気まぐれな足取りだが、そうして歩く姿が妙にさまになっている。すれ違うトゥトゥに振り向かれても、他人の視線を気にする様子はない。注目されるのに慣れているのだ。
 二階に出て、ロータリーから飛び立つ前に、彼は暮れなずむマルゴ・トアフの街並みを睥睨する。楽しそうに、その眼がきらめく。
「さて、異星人(エイリアン)の租界と聞いたから、どんな魔窟かとおもいきや。どうしてなかなか、楽しそうな街並みじゃないか」
 ポシェットを探って、彼は端末を取りだす。最新式の、とびきり薄くて頑丈なやつだ。画面に表示された地図は、一般的なトゥトゥの街のものよりも、ずっと表示が詳細だった――空から目標を探すことに長けているトゥトゥは、そもそもあまり地図の正確さいうものにこだわらない。
 端末を戻して、彼はふたたび街を見下ろす。
「ふむ。あのへんかな」
 歌うように独り言を漏らしながら、ロータリーの端へ。石畳を蹴爪で力強く蹴って、彼は大空に舞い上がった。大きな翼が、易々と風をとらえて高度を上げる。
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはゆったりと羽ばたいて、マルゴ・トアフの空を旋回する。

  ※  ※  ※

 車窓から眺める夕暮れどきのメインストリートは、フェスティバルのときほどではないけれど、おおいににぎわっていた。ジンは目を細めて、喧騒を見やる。
 空を見上げれば、駅のほうに向かって飛んでゆくトゥトゥたちの姿。地上には地球人たちが目立っている。足早に帰るもの、いかにも残業中の買い出しといったふうのもの、仕事が引けて浮かれているのか、楽しそうにそこらの商業ビルを冷やかしているものも少なくない。
 ショーケースに並ぶさまざまな日用品、インテリア、衣料品。トゥトゥの羽毛を手入れするためのオイルと、人間用のヘアクリームが、同じ棚でいっしょくたに陳列されている。違法すれすれのインプラント改造ツールに、はてには何に使うのかよくわからないトゥトゥの民芸品まであった。雑多な商品のならぶ通りに、ちらほらと飲食店の看板も混じっている。
「ずいぶん賑わってるな」
「普通だよ。毎日毎晩飽きもせずにそこまで仕事漬けなのは、お前くらいだ」
 笑ってそういうハーヴェイも、半分は社屋に住みついているようなものだ。残業をさぼって無駄口を叩きにきたところで、出掛けようとするジンとエトゥリオルに気付いて、いい口実を見つけたといわんばかりに、そのままついてきた。
「ま、ようやく息抜きをする気になったのは、いいことだけど――こっちの音楽に興味が出たなら、いつか東部に行ってみたらいい」
「東部?」
「そう。クジラの歌が聴ける」
「――クジラがいるのか」
「地球の鯨類とはだいぶ違うけどね。大型の海洋哺乳類がいるよ。トゥトゥはよくいろんな生き物と合唱するけど、東のほうはとくに盛んなんだよ」
「アンドリューが再生してたのが、それですよ」
 エトゥリオルが口をはさんだ。歌声の後ろで響いていた音を思いだして、ジンは納得した。汽笛のような、ゆったりした低音。
 ハーヴェイが首をひねって、エトゥリオルのほうを振り返った。「鳥とも、よくいっしょに歌ったりするよな――あれって、どうやってるんだい。捕まえて訓練してるって感じじゃないよな」
「どうでしょう。そのときのステージで呼んでみて、来てくれた鳥と歌うんじゃないでしょうか」
「呼んだら来てくれるんだ?」
「そうですね――こんな感じで」
 エトゥリオルは喉を複雑に震わせて、いつもの話し声とは違う、高い音を立てる。「鳥の種類によって、呼び声が違うんです。いつも来てくれるとは限らないけど……」
 へえ、と感心したような声を上げて、ハーヴェイが目を輝かせる。
 ジンは車窓から、空に視線を向ける。今日は雲が多い。低いところを、何か黒っぽい鳥が飛んでいるのが見える。さすがに車中の声を聞きつけて舞い降りてくることはないようだった。
「そういえば、声で思いだしたんだけど、君らの名前って、産声なんだって?」
「あ、そうですね。第一声がそのまま名前になります。だけど、それって西部だけの風習らしいです」
「ああ、やっぱりそうなんだ。それでかな、似たような響きの名前が、けっこう多いよね――いや、ごめん、君たちの耳にははっきり聴き分けられるんだろうけど」
 ハーヴェイはばつの悪いような顔をしたが、エトゥリオルは笑って首を振った。
「いえ。似た名前のやつなんて、腐るほどいますよ。昔なんかは、生後三日以内に声を立てなかった子は、みんな名無しだったらしいし……」
 言葉を切って、エトゥリオルはくすりと笑う。「名前っていえば、笑い話が残ってるんですよ。ずっと昔の王様なんですけど、伝説があって。殻から出るのを待たないうちから、産まれおちて羽が乾くまでずっと、延々と声を上げ続けたんだとか」
 ハーヴェイが小さく吹き出す。「そりゃまた、周りは迷惑だったろうね」
「童歌にもなってます。そっちの方は誇張が入ってるらしいんですけど、とんでもなく長い名前だったのは本当で、公文書にも残ってるそうです」
「典礼とか、公式行事とか、いちいち大変だっただろうなあ」
 ハーヴェイはいって、くつくつと笑った。名前を正確に発音することが礼儀とされるトゥトゥの社会だ。途中で噛んだりしたら、目も当てられない。
「そこまでじゃないんですけど、うちの兄なんかも、名前が長くて。よくほかの人から面倒がられてます」
「あ、お兄さんがいるんだ。――あれ、でもトゥトゥって、あんまり兄弟といっしょに暮らしたりしないんじゃなかったっけ」
「そうですね。うちの場合はちょっと、兄が特殊で」
 トゥトゥは普通、子育てがひと段落して子どもがひとり立ちするまでは、次の卵を抱かない。子どものほうでも、育ってしまえばさっさと家を出て、そのあとはめったに親を頼ることもないから、兄弟の顔さえ知らない場合もめずらしくない。
「兄はなんていうか――いつまでもふらふらしてて、落ち着かなくて。とっくに家は出てるんですけど、僕がいるときも、しょっちゅう戻ってきてました」
「へえ――ああ、着いた」
 車が速度を落として、建物の前庭に入る。マルゴ・トアフにある車は、基本的に交通局の管理する無人タクシーばかりだ。自家用車というものがないから、当然ながら駐車場もない。次々に人を下ろしては、無人の車が去っていく。
 やってくる車の多さに、ジンは驚いた。市民コンサートだと聞いていたから、もっと小規模な催しだと思っていた。
「――本格的だな」
 ジンの呟きに、エトゥリオルがどぎまぎしたようすでうなずいた。人の多いところが苦手なのか、落ち着かないようすで冠羽をぴくぴく揺らしている。
 その様子を見て、ジンは口を開きかけた。言葉をさがして、ためらう。
 先日の屋上での一件を、あらためて謝りたかったけれど、ここ数日、ゆっくり話すタイミングをつかめなかった。アンドリューの話をいいきっかけと思って、連れ出してはみたものの、無理に付き合わせてしまったような気がして、いまさら気が咎めていた。
「おおい、入るよ」
 さっさと入場券を買ったハーヴェイが、二人に手を振る。
 開きかけた口を閉じて、ジンは歩きだす。コンサートが終わってからにしよう。

 一曲目と二曲目は市民合唱団による混声合唱で、七人のトゥトゥが舞台に並び、きれいなハーモニーを聴かせた。
 会場には音響設備もあるのだろうけれど、そうしたものが使われているような様子はない。そのままの声だけで充分なのだ。
 セミプロだという話が周囲の聴衆から漏れ聞こえてきたけれど、それも納得できる歌声だった。アドリブが入って、ときおり奔放に脱線するのに、それが全体にぴたりと調和している。
 コンサートホールは何百人と収容できそうな、りっぱなものだ。そこに、満席とはいかないが、けっこうな人数の観客が入っている。それだけの客席が、おおいに拍手でわいた。
「――たしかに、聴きに来る価値はあるな」
 ジンが思わずそういうのに、エトゥリオルが熱心にうなずいた。
 合唱団が挨拶をして、舞台のそでにひっこんだ。その直後、ふっと照明が落ちて、観客席にとまどうようなざわめきが起きた。
 舞台の上にスポットライトがともる。
 さきほどはそういう演出はなかった。何事かと舞台に注目する人々の視線を受けて、スポットライトが、軽やかに躍りだす。
 唐突に、大きな羽ばたきが響いた。
 舞台のそでから、ひとりのトゥトゥが躍り出る。まさしく躍り出る、というかんじだった。大きく翼を打ち鳴らして、飛びながら姿を現したのだ。
 派手な色をしたトゥトゥだ。胸元は純白だが、頭や背中はオレンジに近い褐色をしている。翼の先にいくほどその色があざやかに濃くなって、美しい模様の斑が入っている。
 舞台は、歌うには充分すぎるほど広いけれど、自由に飛びまわるには当然ながら狭い。その狭い舞台の上を、器用に飛びまわりながら、トゥトゥは歌い出す。
 朗々たる美声だった。
 はじめは驚いていた人々も、徐々に笑顔になって、このパフォーマンスを楽しみはじめる。途中からは、手拍子まで起こりはじめた。
 調子に乗ったトゥトゥの歌い手は、歌声を響かせながら、客席の上にまで躍り出る。抜け落ちた羽がひらひらと舞うのを、客席の地球人の子どもが、喜んでキャッチしている。
「ずいぶん派手だな……」
 歌を邪魔しないように、ジンは小声で呟いた。それから隣で、エトゥリオルがなぜかがっくりとうなだれているのに気がついた。
「――リオ?」
 エトゥリオルは頭を胴体にめりこまんばかりに縮めて、小さくなっている。トゥトゥのジェスチャーは、必ずしも地球人のそれと一致しないが、彼が何かいたたまれない様子でいるということは、ジンの目にも明らかだった。
「すみません――」
 エトゥリオルは縮こまったまま、唐突に謝った。ハーヴェイが振り向いて、怪訝そうな顔になる。
 なにを謝られているのかわからなくて、地球人ふたりが顔を見合わせる。エトゥリオルはうなだれたまま、消え入りそうな声でいった。
「……兄です」

  ※  ※  ※

 ステージが終わると、歌い手は袖に引っ込まずに、そのままばさばさと翼を鳴らしながら客席に飛び込んできた。
 ハーヴェイはとっさに軽くのけぞったけれど、エトゥリオルの兄は危なげなく客席のあいだを縫って、ふわりとそばの通路に降り立った。
「よう、元気にしてたかエトゥリオル!」
 席を立ったエトゥリオルが、胸ぐらをつかまんばかりの勢いで兄に詰め寄るのを見て、ハーヴェイは目を丸くする。
「こんなところで何やってるんだよ!」
 叫んでしまってから、周囲の視線を集めてしまっていることに気付いたようすで、エトゥリオルは羽毛を逆立てた。「とにかく、出るよ! ――すみません、すみません」
 周囲の観客に何度も頭を下げながら、エトゥリオルは兄の腕をぐいぐいひっぱってゆく。
「何って、可愛い弟がちゃんとやってるかどうか、心配になって見に来たんじゃないか……あ痛てて、乱暴にひっぱるなって、ハゲるだろ!」
 騒々しく出ていく兄弟を、いっときあっけにとられて見守ったあとで、ハーヴェイは我にかえった。
「――俺たちも出ようか」
「そうだな……」
 追いかけてホールを出るまでに、ふたりは点々と落ちている羽根を何枚もみかけた。
 ロビーの隅のほうで、兄弟は引き続き騒いでいた。
「心配することなかったか。ずいぶん元気そうじゃないか、弟よ」
「――たったいま元気じゃなくなったよ! なにやってんだよもう!」
 そこでようやく追いかけてきた二人の姿に気付いたらしく、エトゥリオルは顔を上げる。「なんていうか、すみません……」
「いや、謝らなくても。楽しそうなお兄さんじゃないか」
「似てない兄弟だな」
 口々に勝手なことをいう二人に、エイッティオ=ルル=ウィンニイはいまやっと気付いたようすで、大きく翼を広げて挨拶した。
「あ、どうもどうも、弟の上司の方です? こいつちゃんとお役に立ててます?」
 もちろんとうなずきながら、ハーヴェイはこんなに愛想のいい――というか調子のいいトゥトゥもなかなか珍しいなと思い、思っただけで口には出さなかった。ジンはいつものように、愛想にかける態度ではあったが、真面目な顔で即答した。「いつも助けられてる」
 それを聞いたエトゥリオルが、羽を膨らませて固まってしまう。弟の様子を見たエイッティオ=ルル=ウィンニイは、おお、こいつさては照れているなといって、大きく笑った。
 ハーヴェイもつられて、くすりと笑った。「――だけど、すごいな。噂をすれば影って、ほんとなんだなあ」
「あ、そういう格言、こっちにもありますよ」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはそういいながら、ははーんという顔をして、顎をさすった。
「エトゥリオルよ、職場のひとと仲がいいのは素晴らしいことだが、いい年をして身内の自慢話をするのは、あまり格好のいいことじゃないぜ?」
「なんで自慢だと思うんだよ。名前の話をしただけだよ」
「ああ、俺の美声は生まれつきだっていう話か」
「エイッティオ=ルル=ウィンニイは生後三日から口が減らないっていう話だよ! だいたい、僕の顔を見に来たんなら、なんでこんなところで歌ってるのさ……」
「それはお前が悪い」
 断言されて、エトゥリオルがひるむ。エイッティオ=ルル=ウィンニイは真面目な顔になって、懇々と弟にいい諭した。
「弟よ、まめに知らせをよこすのはいいが、お前はいつも肝心なところが抜けている。肝心の住所が書いてなかったぞ」
「前もって連絡すればいいじゃないか」
「馬鹿だなあ、お前。いきなり来て驚かせるのがいいんじゃないか」
 きっぱりといって、エイッティオ=ルル=ウィンニイは翼を振る。「まあ、会社の場所はわかったから、そっちに行ってみるつもりだったんだけどな。トラムに乗り遅れて、着いたのが夕方だったんだよ。いちおう会社の前までは行ってみたんだが、どうも終業時間は過ぎてるようだったし」
 ひとまずどこかに泊まって、明日にでも出なおすつもりで、人通りの多いほうに飛んできたのだと、エイッティオ=ルル=ウィンニイはいった。
「だけど、ここの前を通りかかったら、なんだか楽しそうなことをやってるし、受付で訊いたら、飛び入りでもいいっていうから、これは俺の出番だろうと思ったのさ。まさかお前がいるとは思わなかったが」
 これも血の絆というやつだろうかなあといって、エイッティオ=ルル=ウィンニイはうんうんとうなずいた。
 エトゥリオルが、がっくりとうなだれる。「なんていうか、色々とすみません……」
「だから、別に謝らなくても」
 エトゥリオルのようすが珍しくて、ハーヴェイは笑った。「せっかくだから、君、明日は仕事休んで、お兄さんと一緒にあちこち見物して回ったら? まだあんまりこっちの観光もしてないんだろ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
 エトゥリオルがきっぱりと首を振るのに、エイッティオ=ルル=ウィンニイが残念そうな顔をする。「なんだ、真面目なやつだなあ」
「っていうか、いやです」
「弟よ!?」
「仲がいいなあ」
 笑って、ハーヴェイは首をかしげた。「ええと――エイッティオ=ルル=ウィンニイ?」
 呼びかけると、エイッティオ=ルル=ウィンニイは面白がるような顔をした。
「はいはい、なんでしょう」
「まだ宿が見つかってないんだったら、社員寮に泊まられたらいいですよ。どんなところで弟さんが暮らしてるのか、一度見ておかれたら安心でしょう。許可、取っておきます」
「おお、ありがとうございます!」
 嬉しそうにいって、エイッティオ=ルル=ウィンニイはエトゥリオルの背中を抱く。「弟よ、今夜は久々に語り明かそうじゃないか!」
「いやだよ、明日も仕事なのに」
 げんなりしたようすで、エトゥリオルがうなだれる。エイッティオ=ルル=ウィンニイは気にした様子もなく、弟の背中をばんばん叩いた。

   ※  ※  ※

 車を停めて、二人を寮の前でおろしてから、ジンとハーヴェイはそのまま社屋に戻った。無理をして時間を作りはしたけれど、ふたりとも仕事は山積している。
 日はとうに落ちているけれど、支社の廊下は浩々と明るい。部署によっては遠方の取引先や空港と連絡を取る都合から、深夜まで交代で人が詰めている。
「いやー、リオはあんな顔もするんだなあ。すごいな、家族って」
 ハーヴェイが感慨深げにいうのに、ジンはうなずいた。その顔を覗き込んできて、ハーヴェイは笑う。「お前、羨ましそうな顔してるぜ」
「そうか?」
 自分の顔を手でこすって、ジンは苦笑した。「……そうだな。たしかに、羨ましいな」
 ハーヴェイは目を丸くして、足を止めた。
 つられて立ち止まったジンが、怪訝な視線を向けると、ハーヴェイは感慨深げにため息をついた。
「お前、変わってないようで、やっぱり変わったよなあ。十年って長いな」
「うるさいな。お互い様だろう」
 顔をしかめて、ジンは手を振った。気にするようすもなく、ハーヴェイはにやりと笑う。「リオは、元気が出たようじゃないか」
「――落ち込んでたの、わかったか」
「そりゃ、わかるよ。お前なあ、耳タコだと思うけど、もっとなんでも気楽にやれよ。ユーモアって大事なんだぜ? リオも真面目なんだから、二人とも真面目くさった顔を突き合わせてたら、息抜きってもんができないだろう」
 しかつめらしい顔で、ハーヴェイがいう。ジンは憮然としながらも、うなずいた。「アンドリューからも言われた」
「まあ、気の利いたことをいうお前は気色悪いけどな」
「どっちだよ……」
 ぼやいて、ジンは窓に視線を投げる。そこからちょうど、寮の灯りが見えている。
 ふと、ジンは微笑んだ。いまごろは兄弟で、また騒々しく喧嘩の続きをしているだろうか。

   ※  ※  ※

 エイッティオ=ルル=ウィンニイはなかなか眠ろうとしなかった。眠る姿勢で寝床に座ったまま、ひっきりなしに弟に話しかける。まるで合宿中の学生のようなテンションだ。
「いやあ、それにしてもこんなところで働いてるっていうから、心配してたけど、エイリアンにしてはなかなか、気のいい連中みたいじゃないか」
 エトゥリオルはむっとして口をはさみかけたが、エイッティオ=ルル=ウィンニイは慣れた呼吸で先を封じた。「いい勤め先が見つかってよかったなあ、お前」
 しみじみした口調だった。
「――うん」
 素直にうなずいて、エトゥリオルは窓の外に視線を向けた。ここからカンパニーの社屋が見える。まだ窓の奥に、照明がのぞいている。
 ジンは仕事に戻って行った。
 本当は忙しいはずなのに、市民コンサートを口実に、時間を取ってくれた。たぶん、エトゥリオルが落ち込んでいたのを気にして。
 その気遣いが嬉しかったけれど、それ以上に、申し訳なかった。まだ戦力にならない自分がくやしくもあった。
「あの赤毛のほう、俺の名前、きっちり呼んだなあ。もうちょっとで噛みそうだったけど」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイは、上機嫌な調子でそういった。
 エトゥリオルは自分の羽をひっぱって、ちょっとためらってから、いった。「仕方ないんだよ――だいたい、喉のつくりが違うんだから」
「知ってる」エイッティオ=ルル=ウィンニイはあっさりうなずく。「それなのに頑張って発音したから、いいやつそうだなと思ったんだよ」
 エトゥリオルは、とっさに反応に困った。困って、いった。
「――そんなにいちいち心配してくれなくていいよ」
「お、生意気いうようになったなあ。昔は俺が会いに行くたびに、足元をちょろちょろつきまとって、べったりへばりついてきてたのに」
「そんなチビの頃の話なんか、不可抗力だろ」
 嘴を下げて、エトゥリオルは憮然とする。エイッティオ=ルル=ウィンニイは笑って聞き流した。
「お前、あいつらの会社で何してんの」
 エトゥリオルは答えるのを、わずかにためらった。前に送ったメールのなかでも、仕事の中身はぼかしていたのだった。
 けれど結局、エトゥリオルは答えた。
「機械をつくる仕事」
「機械、ね」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイは繰り返した。その声に、皮肉の響きはなかったけれど、エトゥリオルは逡巡した。いっときためらってから、付け足した。「飛行機とか。――まだ、作ったことないけど」
 兄がどういう反応をするか、エトゥリオルは固唾をのんで待った。エイッティオ=ルル=ウィンニイの顔を見られずに、背を向けて窓の方を向いたまま、じっと黙っていた。
「飛行機か」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイのあいづちは、あっさりしたものだった。その声には、批難の調子は感じとれない。
 エトゥリオルはいっときそのままじっとしていたけれど、結局、がまんできずに兄のほうを振り返った。
「――反対する?」
「なんで?」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはそういって、笑い飛ばした。「でかいものを作るのって、面白そうじゃないか」
 またいっとき黙り込んで、エトゥリオルは翼をぴくぴくさせた。
「――怒るかと思った」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイは、小さく首をかしげた。それからふっと、真面目な調子でいった。「まあ、世間の風当たりは強いよな」
 それでも、だからやめろとは、エイッティオ=ルル=ウィンニイはいわなかった。そのかわりに翼を伸ばして、エトゥリオルの背中を、軽く叩いた。
「頑張れ」
「――うん」
 それきり、エイッティオ=ルル=ウィンニイは話すのをやめた。
 兄がほんとうに眠ってしまったのか、寝た振りをしているのか、エトゥリオルにはわからなかった。
 そのままいっとき眠ろうとせずに、エトゥリオルは窓の外を見ていた。
 自動車が裏手の道を通りかかるらしい、かすかな走行音がする。夜行性の鳥の羽ばたきが、窓の外を横切って行った。

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