小説トップへ



 
 母はフルタイムで働きながら毎日かならず六時半には帰宅して、わたしの食事の支度をきちんとしてから、浮気に出掛けてゆく女だった。
 これだけを人に言えば、いかにも母がおかしな女だったように思われるかもしれないが、実際のところ、先に愛人を作ったのは父の方だった。愛人という古めかしい言葉が、もし金を与えて囲うことを含んでいるのであれば、正確には少し、違うかもしれない。なにせ父は吝嗇家で、女に金をつかうような甲斐性は持ち合わせていなかったので。
 それまでの母は、父の言うことにはほとんど逆らわずにしたがう女だった。納得しようがしまいが、めったに反論するということをしなかった。だからといって、自分の意見を持たない、流されやすい女だったというわけではない。
 母は昔から責任感が強く、人に迷惑をかけることを嫌い、こうと決めたらとにかく筋を通す人だった。仕事熱心で、以前にはよく残業をしたのだが、あまり遅くなりそうなときには一度帰ってわたしに夕飯を食べさせてから、そのあとでまた仕事に戻っていった。そういう律義な、頑固なほどに真面目な人だった。
 そういう女が、なぜ夫の言うことには唯々諾々と従っていたのか? べつに父が人格の出来た、頼りがいのある人間だったというわけではない。そうしておくのがいちばん面倒がないから、というのが、わたしの理解だった。
 父は妻の尻に敷かれてみせるだけの度量のない、器の小さな男だった。明らかに非があっても、自分の間違いを認めることができず、謝るということを知らない人だった。なぜあのしっかり者の母がああいう父と結婚したのかと、わたしはずっと不思議に思っていた。
 そういう二人の関係が一変したのは、わたしが高校に入った年の、晩秋のことだった。
 ある晩、わたしが自分の部屋で宿題のノートをひろげてぼんやりしていると、階下に罵声が響き渡った。
 そのひきつれた甲高い声が母のものだということを、わたしの耳はいっとき理解しようとしなかった。それくらい声を荒げることの少ない母であったし、怒るときにはむしろ、滔々と筋道だてた意見を述べる人であったのだ。
 その夜、怒声の切れ切れの断片から、わたしは事情を理解した。父の浮気相手にまつわるおおよそのこと――そういうことならば私も好きなようにさせてもらうという、母の捨てぜりふ。足音高く家を飛び出してゆく気配があって、驚いたわたしが階下に降りたときには、父がひとり、憮然として居間のソファに沈んでいた。母を追いかけてゆくこともせずに。
 それでも母の家出は一晩かぎりのことで、翌朝の早い時間には戻ってきて、無言のままに朝食の支度を整えていた。
 わたしは昨晩の話題に触れることができず、母もまた何も言わなかった。わたしが家を出るときにかけられたいってらっしゃいの声は、驚くほど平静を保った声色だった。
 そして母は、好きにさせてもらうというあの言葉通り、本当に恋人を作った。
 おそらくその事件から、二週間としないうちだったと思う。そんな話をみずから吹聴するような母ではなかったので、たしかなところはわからないが、ともかく彼女の何気ない行動の端々から男の気配がするようになったのは、その頃だった。
 母は英会話教室といって、週に何度か、夕飯の支度をしてから出掛けるようになった。そしてそのうちの一度か二度は、本当に英会話教室に通ってもいたのだ。
 高校生の娘がいる年齢で、まだそれだけの向上心を持っている人だった。いま、同じ年ごろになったわたしからしてみたら、ちょっと信じがたいようなバイタリティだ。正社員として働く一方で、家事を日々几帳面にこなし、なおかつ学業と恋愛まで抱え込むというのは、いったいどれだけのエネルギーを要することだろうか?

 ともかく、そんなふうにして週に一度か二度、母は彼氏とのデートを楽しんでいた。
 わたしが部活を終えて帰ると、母の姿がないかわりに、食卓の上にサランラップのかかった、まだ温かい皿が置いてあることが多かった。母はかならずその上に置手紙を残した。会社の勤続何年だかの表彰でもらったというボールペンで、母はいかにも几帳面な、整った文字を書いた。鍋に何が入っているから温めて食べるようにだとか、野菜を残さないようにだとか、そういうことを、毎回毎回飽かずに書き残した。
 あの頃、わたしは不思議でならなかったのだが、どうして母はあれほど容易に恋人をみつけることができたのだろう。
 母はまあ、どちらかといえば顔立ちの整った人ではあったけれど、そうはいっても無理に若づくりをするくちではなかった。年相応に体の線もくずれ、顔のしわもめだちはじめた、中年の女だった。そういう女がどういうふうにすれば、きれいな顔をした若い恋人を、ものの二週間で捕まえてこられるものなのか? まだ十代だったわたしには、不思議でならなかった。
 わたしがなぜ母の彼氏の年頃や顔を知っていたのかというと、出掛ける彼女のあとをつけていったことがあるからだ。
 実をいえば、顔ぐらい見てみたいと、正面切って母にたのんでみたこともあったのだ。だが母は首を縦に振らなかった。恋人の存在こそ隠さずに認めたものの、あんたが会ってどうするのと、母はにべなく一蹴した。
 それでもわたしは粘り強く要求した。だって状況の運び次第では、いずれその人がわたしの義父になることだってあるかもしれないではないか?
 けれど母は、食い下がるわたしを笑い飛ばした。
「そういう男じゃないのよ」
 ならどういう男か、この目で見てやろうじゃないか。まだ高校生だったわたしがそんなふうに息巻いたのも、無理からぬ話だった。母が英会話教室に出掛けることになっていた日、部活で遅くなると嘘をついて、母が通るであろう道で、わたしは待ち伏せをした。
 初冬だった。まだ雪が舞うような時分ではなかったが、街路樹はすでに葉を落とし、頬が痛くなるほど風が冷たくて、わたしはマフラーを忘れてきたのを後悔した。
 気付かれないように距離を置いて母のあとを追いかけながら、刑事もののドラマのようだなどと、ついそんなことを考えた。母に気付かれることよりも、こそこそと人の後をついてゆくようすを周りの通行人に見咎められて不審に思われないか、そちらのほうが心配だった。
 母が喫茶店で待ち合わせをしていたその相手は、きれいな顔をした青年だった。きれいといっても芸能人のようだとか、思わず振り返って見とれてしまうとか、そういう華のある顔立ちではなかった。ただすっきりと鼻筋の通って、真面目そうな、好感の持てる容貌だった。
 男はいかにも女の子が好きそうな洒落た店内で、ひとり所在なさげに座っていたのだが、母に気付くやいなや、ぱっと明るい表情になった。
 どう見ても二十代の半ばといったところだった。おしゃれというよりも、身ぎれいにしているという言葉が似合うような、きちんとした身なりをしていた。母と話している間じゅう、痩せた頬におだやかな微笑をたたえていた。ときどき笑い崩れて目尻が下がると、人懐こそうな顔になった。
 わたしが直前まで想像していたような、頭の軽くて調子のいい男には見えなかった。むしろ浮ついたところのない、落ち着いた青年だと思った。そういう人間が、なぜよりによって母のような女を恋人にする必要があるのか、わたしには見当もつかなかった。
 とっさに連想したのは金だったが、しかしおそらく、そういうことはなかっただろうと思う。なぜなら母は責任感が強く、意地っ張りな女だったから。父が女に貢がないのに、自分がそれをするようなことは、彼女のプライドに障っただろう。
 ふたりはそれからも、いっとき談笑を続けていた。青年が何を言ったのか、母が目を丸くしていかにも可笑しそうに吹き出すのを、わたしは見た。家では見たことのないような顔だった。
 本当は二人が喫茶店を出たあとも、ずっと尾けてゆくつもりでいたのだが、その横顔を見たとたん、気持ちがくじけた。わたしはしっぽを巻いてすごすごと帰った。鍵を開け、誰もいない家の中に向かって、返事がないのはわかっていたのに、習慣でただいまと呟いた。
 手を洗って食卓につくと、わたしは母の作っていった料理からラップを剥がした。母の書いたメモには、電子レンジで温めるようにとあったが、どの皿もまだ冷え切らってはおらず、中途半端なぬくもりを残していた。

 どうして母さんみたいなオバサンにすぐ彼氏ができて、わたしになかなかできないのか。世間というものは不平等だ。
 あとをつけて相手の顔を見たことは伏せ、そんなふうに母に向かってふてくされてみせたのは、それから数日後のことだった。
「ずいぶんと生意気を言うじゃない」
 母はそう言って、小さく笑った。「英会話教室」に出掛けるために、化粧をなおしている最中のことだった。鏡越しにちらりとわたしに視線をくれた母の口紅の色が、いつもより明るいのに、わたしは気付いていた。ぱちんと音を立てて口紅に蓋をすると、母は髪をかきあげた。
 コツがあるのよと、冗談めかして母は言った。顔や体の問題じゃあなくって、男をその気にさせる、コツがあるのだと。母がそういう軽口をいうのは珍しかった。
「じゃあそのコツ、あたしにも教えてよ」
 わたしがそう言うと、母は可笑しそうに喉の奥で笑った。そうしてわたしの頭を掻きまわして、「十年早い」と言った。
 唇を尖らせたわたしの顔を、ふいにまじまじと見下ろして、母はふっと、目を細めた。
「そうね、十年経ってもあんたが自力でそのコツを掴んでなかったら、こっそり教えてあげてもいい……」
 だけど結局のところ、その約束は果たされることがなかったので、わたしはいまでも男を捕まえるのがへたくそなままだ。三十五のときに、今度こそはと思った男に捨てられてからは、何だかもう全部ばかばかしいような気持ちになってしまって、いまだに独り身のまま、バツのひとつもつきはしない。
 だが、それでよかったのかもしれないと、思うときもある。そもそもわたしは結婚したいと本心から思ったことが、一度でもあっただろうか? 誰かとともに暮らす、あるいは子どもをこの手に抱くということを、真剣にイメージしたことが?

 母に彼氏が出来てから、一見、家の中はもとの平和を取り戻した。
 むしろ、それまでよりもいっそう平穏になったかもしれなかった。父母のどちらにも後ろめたいことがあるから、二人とも、相手を直接的に非難するようなことがなくなった。たまにちくりとやり合うことがあっても、まともな喧嘩にさえならなかった。
 それどころか妙なもので、笑顔で言葉を交わすことさえ、次第に増えていった。父がわたしになにか買い与えてくれるようなことも多くなった。
 母は母で、以前よりもいっそう家事をきちんとやるようになって、残業をほとんどしなくなった。そのかわりに、どうしてもそれではしのげないときには、休日出勤をするようになった。
 さっきも言ったように母は真面目で、責任感の強い女だった。自分が浮気にかまけて子どもを放ったらかしにするだらしのない女だということになるのには、どうしても耐えられなかったのだろう。
 そうやって得られた平穏な日々を、わたしは受け入れた。
 両親の浮気という状況に、嫌悪感を抱かずにいられたわけではなかった。心情的な反発は、いつでも胸のどこかにあった。だが、それでうまくいっているのだからと、わたしは次第に割り切って、自分で自分を丸めこんでしまった。
 世間にはいろんな家族の形がある。うちはちょっとばかりよそとは違って、なんだか妙なことになりはしたけれど、これでうまく回っているのだから、それでいいではないかと。
 そう思うよりほかに、どうしようがあっただろう。もし二人が、毎晩のように声を荒げて口論をするのなら、喧嘩はやめてと泣きつくこともできただろう。家の中が荒れたのなら、母に向かって怒ることもできたかもしれない。だが実際には、うちの中は平穏だった。少なくとも見た目には、非常に円満に、たいした問題もなく日々が回っていった。なにかに抗議するきっかけも見いだせず、わたしは納得することにした。
 それが表面的な平和でも、わたしには、壊しがたかったのだ。わたしが心優しい娘だったと言いたいわけではない。むしろその逆だった。母が大声を張り上げて泣きわめくような異常な事態は、ごめんこうむりたかった。そんなことに巻き込まれたくはなかった。母が出て行って帰ってこないだとか、毎晩のようにふたりの喧嘩がうるさくて眠れないだとか、そういうようなことには。
 そんなふうにして、わたしはいろんなものに蓋をした。

 けれど、見せかけの平和にいくらわたしが騙されたがったところで、ほかの全ての人々も同じように思っていたわけではなかった。そのことにわたしが気付くまでには、まだ時間が必要だった。
 破綻がやってきたのは、それから一年あまりが過ぎた頃、次の年の十二月のことだ。
 街がクリスマスのイルミネーションにすっかり染まり、そろそろ初雪がちらつくのではないかと、灰色の空を見上げるころだった。冬休みまでのカウントダウンが始まる頃合い。わたしはバレー部の補欠で、レギュラーでないからといって練習量が減るわけでもなく、休みがほかの運動部に比べて短いことに、皆といっしょになってぶうぶう不平を鳴らしていた。
 運動部員の常で、帰り道ともなればいつも耐えがたいほどの空腹におそわれた。帰る方向の同じ部員たちと、何かしら買い食いするのが習慣になっていた――店に入って食べるようなこともあった。
 その日もちょうど、そんな具合だった。帰り道にあるお好み焼き屋で小腹を満たして、やる気のない後輩たちについての愚痴をひとしきりこぼすと、ようやく人心地ついた思いで、姦しく喋りながら家路を歩いた。
 そうして皆と別れて、平穏なはずの我が家に帰りついたら、その前には赤色灯を回転させたパトカーが、何台も停まっていた。
 当時は携帯電話が、まだ一般的ではなかった。それどころかポケベルを持つようになったのさえ、そのもう少しあとの時期だった。だからわたしも友人たちも、もちろん連絡手段なんて持ってはいなかった。
 事件があったのは、夕方、ちょうど部活が終わったころのことだったそうだ。ことが収拾した――少なくともその場に刃物を振りまわす人間がいなくなって、関係者に連絡しようかというゆとりが生まれたときには、わたしはもうとっくに学校を出て、冬の寒い通学路を逃れ、ぬくぬくとしたお好み焼き屋の店内で、友人たちと後輩の悪口なんかを言っていたというわけだ。四角い顔をした警察官が、見かけによらず優しげな声で、きみを探していたんだよと言った。
 刃傷沙汰。いつ聞いても、なんだか笑ってしまうような言葉だ。それはわたしにとって、ドラマの中の出来事だった。あるいは漫画でもいいし、小説でも、ニュース記事でもいい。とにかくそんなことは、画面の向こう、紙面の向こうだけで起きるはずの展開だった。そんな騒ぎに、自分の身近な人間が巻き込まれるなんてことを、どうして想像するだろう?
 だけどそれは現実だった。
 刺したのは父の浮気相手で、刺されたのは母だった。
 そのとき――わたしが家の前で馬鹿みたいに立ちつくして、四角い顔の警察官に声をかけられていたときに、病院に搬送された母の傍につきそって手をにぎっていたのは、あろうことか母の彼氏だった。
 命に別状がなかったからということもあるのだろうけれど、そのとき父はというと、警察の人から事情聴取を受けている真っ最中だった。彼らはわたしの前では言葉を濁したが、ちらりと聞こえた加害者の名前には、耳に覚えがあった。あのすべての始まりだった夜、ふたりのはげしい口論の中に、その名前が出ていたのだ。
 何だかいろんなことが、あべこべな夜だった。
 むしろ逆に、母が浮気相手を刺してもいいはずの立場で(そんな立場があるとすればだが)、母に付き添っているべきなのは本当なら父だったのだし、そもそも刺されてもしかたのない人間がいるとすれば、それも父のほうだった。
 最初の元凶も父、愛人との関係で下手をうったのも父。それなのに、報いを受けたのは母――
 その晩、まだどこか呆然としたままの頭の片隅で、わたしはそんなことばかり、ぐるぐると際限なく考えていた。
 いまなら少し、わかるような気もする。女の嫉妬は道理もなにも踏み越えて、相手の女に向かうものだということや、誰が正しいとか誰にすべての責任があるとか、そんなふうにはっきりと割り切れることなんて、あんがい少ないものだということが。けれどそのときは、そんなことは考えにのぼらなかった。悪いのは父なのにというのが、十七歳のわたしに理解できる、たったひとつの理屈だった。

 病室のベッドで横たわる母は、真っ白な顔をしていた。
 わたしはこのまま母が死んでしまうのではないかと考えて、そう考えた瞬間、その病室の入り口から、一歩も動けなくなってしまった。
 実際にはそう重体だったわけではなかったのだが――警察の人からもそう説明されていたし、母はテレビドラマで見るような大仰な医療機器に繋がれているわけでも、酸素吸入器なんていうものを使っているわけでもなかった。それに何より、そんなに重体だったなら、母の周りには医師や看護師がつきそって処置を続けるなり、容体を見守っていただろう。
 病室にはほの苦い薬のにおいが充満していた。日はとっくに落ちて、カーテンの隙間からわずかにのぞく窓ガラスには、部屋の白々とした蛍光灯が反射していた。暖房のかすかに唸る音がするほかは、ひどく静かだった。
 青褪めた母のまぶたが二度、ぴくぴくと小さく震えるのを、わたしは見た。布団の脇から片手だけが外に出ていて、その青い血管の浮いた手を、そっと握るひとがいた。
 母の彼氏だった。
 その人は、この日もきちんとした背広を身につけて、折り目正しくパイプ椅子に腰かけていた。わたしを見ると、上半身をかがめて母の耳元に顔を寄せて、何事か囁いた。それから静かに立ち上がって、そっと脇にどいた。わたしのために、場所を開けてくれたのだった。
 それでもわたしは、まだ動けなかった。病室の入り口に立ちつくしたまま、母とその傍らの青年を、交互に見ていた。父どころかわたしよりもよほど母と親密そうなそぶりで、当然のようにつきそっているその姿と、その手だけが頼りだというように握りかえしている、母の白い手を。
 青年は壁際に立ったまま、困ったようにわたしのほうを見た。その口元に微笑が浮かびかけて、消えた。居心地のわるそうな身じろぎをしながら、それでも青年は病室を出てゆこうとはしなかった。ときおり母のほうを、気遣わしげに見下ろした。
 二人きりにしたら、わたしが母に何かするとでも思っているのだろうか? そう意地悪く考えて、わたしは自分の考えにひとりで笑ってしまった。滑稽な構図、あべこべな夜――その言葉が、まだ頭の中を回っていた。
 気がつけばわたしは口を開いていた。
「何やってんの」
 自分の口から出た声の刺々しさに、その場でいちばん動揺したのは、わたしだったと思う。本来の面会時間のすぎた病室は、青白い蛍光灯の下で、どこかよそよそしく、冷え冷えとして映った。窓の外でかすかに初雪が舞っていることに、そのときわたしは気付いた。
 母は何かを言いかけて、やめて、それから無理をしたように、ちょっと微笑んだ。その唇が青褪めているのを、わたしは見た。
「ごめんね」
 母がわたしに向かって謝るということが、どれほど珍しいことだったか。その逆はいくらでもあったけれど、母が何かを失敗して父やわたしに迷惑をかけるなんていうことは、めったにないことだった。母はいつでも正しく、責任感の塊のようなひとだった。母に迷惑をかけ困らせるのは、いつも父かわたしの役割だった。
 母はいったい、何を謝ったのだろう。
 刺されたことを? まさか。父の不始末を代わりに謝ったつもりだったのか。心配させておいて、のんきに恋人と手などつないでいたことか。あるいは夫婦のいさかいに、娘が巻き込まれたことをだろうか?
 母は疲れたように目を伏せ、わたしはむっつりと黙りこんだ。それでもすぐにその場を去る気にならなかったのは、ふたりをこの病室に残すのが、おかしなことだと思ったからだった。家族が遠慮して、不倫相手が残るだなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。
 わたしが迷惑顔で睨みつけても、母の彼氏に気を悪くしたような様子はなかった。むしろ、ひどく申し訳なさそうな表情をしていた。何度か口を開きかけて言葉をのみこむ男のそのようすが、先ほどの母と重なって、わたしはますます不機嫌になった。
 やがて男は、もういちど母の手をとって、力づけるようにさすった。それをわたしは黙り込んだまま、じっと睨みつけていた。
「僕はこれで」
 ようやく男は部屋を出て行った。すれ違いざま、わたしに向かって小さくかすれた声で「ごめんね」と、ささやきをのこして。
 何の謝罪なのか。
 わたしから母を盗ったことの? わたしをさしおいて、母のつきそいをしていたことの? あるいは母をナイフから守れなかったことだろうか。(といっても彼は犯行のその場にいたわけではなかったそうだ。約束をしていたのにも関わらず、待ち合わせ場所に母が現れなかったことに不穏な予感を覚えて、近くまでやってきた。そして悲鳴を聞いた……)
 わたしは釈然としない気持ちを持て余して、その痩せた背中を見送った。前に遠目にのぞき見たときには腰かけていたのでわからなかったが、ずいぶんと背の高い男だった。
 ベッドに横たわったままの母は、それから長いこと黙りこくっていたが、やがてふっと気付いたように窓の外を見た。
「あんた、明日も学校でしょう。こっちは大丈夫だから、早く帰りなさい」
 学校? ――学校! わたしは怒鳴りそうになって、ぐっと飲み込んだ。ここが病院だということを思い出したのだ。
 こんなときに言う言葉だろうか? だが母には、前からそういうところがあった。責任感の強さというのは、こうも融通のきかないものだろうかと、周りを呆れさせるようなところが。
 それでもわたしが踵を返したのは、これ以上とどまっていると、母に当たり散らしそうだったからだ。背後の母がかすかに咳をこらえるような気配をさせて、それからもう一度くりかえした。
「――ごめんね」

 実際のところ、学校になんか行けるはずもなかった。
 事件といっても死人が出たわけでもなし、マスコミが大挙して押し掛けてくるようなことはなかったけれど、それでも騒ぎの内容は、あっという間に近所中に知れ渡っていた。わたしはしばらく学校を休んだ。
 父がどんな顔をして仕事に行ったのか――このときわたしはおそらく生まれてはじめて、父を尊敬したように思う。何事もなかったように出社してゆく父を、厚顔無恥だといって笑うことも、わたしにはできたはずだった。それでも、社内で絶え間なくひそひそと尾びれのついた噂話を囁かれながら、何でもないような顔をして働くということが、どれほどの苦労だったかは容易に察しがついた。
 というのも、わたしがまさにそういう目にあったからだ。こちらが被害者なのだと、そううそぶいて素知らぬ顔ができるほどには、十七歳のわたしはしたたかではなかった。
 母を刺した女が父の会社の人間ではなかったことが、あの時期の我が家にとって、最大の幸運だった。いまならそういうことが、少しはわかる。そうでなかったなら、父が退職を迫られなかったはずがないだろうから。(しかしいったいあの父のどこに、会社の外で恋人を作るような甲斐性の持ち合わせがあったのだろう。その点はいまだに深い謎に包まれている……)
 母が退院してからも、家の中は深い沈黙の底にあった。わたしは病み上がりの母の代わりにおぼつかない手つきで家事をこなし、父は淡々と会社に行った。母は伏せったまま、ほとんど寝室から出てこなかった。閉まった扉の向こうで、ときおり抑えた話し声がした。寝室には子機が置いてあったから、電話であの彼氏と話していたのかもしれない。何度か警察の人がうちに来たり、逆に父が警察署に出掛けていったりした。
 葬式のような正月を越え、三学期が始まると同時にわたしはふたたび登校するようになった。その数日後、母が姿を消した。
 わたしが帰宅したとき、靴がなかった。慌てて確認すると、母の使っていたクローゼットにはまばらに隙間が開いており、出張用のトランクをはじめ、いくつかの品が無くなっていた。
 わたしが学校に再び通い始めるまで待ったところが、なんとも母らしかった。夕飯の上にはあれだけまめに置き手紙を残したくせに、肝心のときには書き置きひとつなかった。それでも母が自らの意思で姿を消したのだということは、父にとっても、わたしにとっても、当然のことのように察せられた。
 それでももしものことを心配しないというわけにはいかなかったが、それもじきに解消された。母は勤め先に、退職願を郵送したのだ。
 そのことを父の口から聞いた時には、思わず笑ってしまった。退職願! 家族には何も書き残さなかったくせに!
 わたしが声を上げて笑っても、父は怒らなかった。ひとつ深くため息をつくと、父はわたしの顔を見て、はじめてまともに謝った。
「すまなかった」
 わたしはびっくりして、ぽかんと口を開いた。わたしの知っている父は、とにかく謝るということのできない人だった。どれほど明確に自分が間違っていても、けして間違いを認めようとはしなかった。
 あのときどうして父に向かって怒らなかったのか、自分でも長いあいだ不思議でならなかったのだが、いまにしてみれば、やはりわたしはただ単に、臆病だったのだと思う。
 未成年だったのだ。高校を卒業するのにだって、あと一年以上は学校に通わなくてはならなくて、就職なんてまだ全然ぴんとこないし、できたら大学にも進学するつもりでいた。そのためには父の稼ぎに頼らなくてはならなかった。少なくとも自立のめどがたつまで、父と二人で、この家で暮らしてゆかねばならなかった。
 なんという現実的な判断!
 何年も経ってからそのことに思い当ったとき、わたしはひとりきりの部屋で、声を立てて笑ってしまった。似ていないと思っていたけれど、やはりわたしはあの母の娘なのだ。望もうが、望むまいが。

 父と二人の暮らしは、静かなものだった。顔を見れば、恨みごとだの後悔だのといったことばかりが際限なくあふれそうだったから、同じ家で暮らしていても、父とわたしはほとんど顔を合わせなかった。わたしは家事の用のあるとき以外には自室に籠ったし、父は父で、早く帰ってきても静かに飲んだくれているばかりだった。
 父に酔って暴れるような酒癖の悪さがなかったことが、わたしたち家族にとっての二番目の幸運だった。父はおおむねただ酔い潰れて眠るだけの、害のない酔っ払いだった。
 体に悪いから飲みすぎるのはよせとは、わたしは言わなかった。それはもちろん同情からではなく、無関心によるものだった。
 だからというわけでもないが、結果的に、父は早くに逝った。わたしが就職して二年も経たないころだった。肝臓を悪くしたのではなく、事故だった。仕事で高速道路を運転していたとき、目の前の車の荷台から転げ落ちてきた荷物を避けそこなって、分離帯に突っ込んだのだ。
 わたしはあっけなく天涯孤独の身になった。どちらの祖父母もすでになかったし、そのほかの親類とはすでに疎遠だった。

 母があのときわたしに何も言わずにいなくなったのは、責任を感じていたからだ。申し開きをする気にもなれないほど、わたしを捨てていくことをすまなく思い、気に病んでいたからだ。わたしはそう思うことにした。
 本当のところはわからない。けれどそう思っていたほうが、自分の気が楽だということだけは、よくわかっていた。
 いまごろきっと母はあの若い男と、どこかで遠くで暮らしているのだろう。離婚届を送ってこなかったのは、せめてもの母の誠意だろうか。娘を捨てておいて、自分だけが当たり前の幸せを手にするつもりはないと――それも全て、根拠のうすい想像にすぎない。どのみちわたしは母のことなど、ひとつもわかってはいなかったのだ。
 不倫相手ともとっくに別れて、どこかで孤独に暮らしているかもしれない。あるいは自殺を選ぶことだって、まったく考えられないではない。母は被害者だったけれど、それでも母に、ああした恥は耐えがたかっただろう。世間様に後ろ指をさされるということ、そのものが。
 それとも捨てた家族のことなどとっくに見切りをつけて、もう関わり合いになりたくない、思いだしたくもないと考えているだろうか?
 そのどれでもおかしくはなかったけれど、わたしは意識して、そうした可能性のすべてに目をつぶった。どのみち確かめようのないことだったし、何より真相を知ろうとしないでいるほうが、人はまだしも心安らかに暮らしていられる。そうではないか?
 だけど、ときどき――そう、ほんの時折、あのときの夜の病室を、ふっと思い出した。ごめんねと、二度も母は言った。彼女はいったい、わたしに何を謝りたかったのか? いずれわたしと父を捨ててどこかに消えること? 十年後に男を捕まえるコツを教えるという約束を守れないこと?
 わたしはあのとき返事をしなかった。いいよとか、怒ってないよとか、何で謝るのとか、そういうことを、何も口にしなかった。もしいまあのときに戻ってやりなおせるとしても、やっぱりわたしは何も言わないだろう。許そうが、許すまいが、結局はわたしを捨ててゆくのには違いないのだから。

 こんなふうに母のことを思い出すことも、最近ではあまりなくなった。
 とっくにいなくなった人間のことについて、いつまでも思い悩んでいられるほど暇ではないのだ。働いて、食べてゆかねばならない。いまは恋人もいないけれど、この頃は不景気のあおりで残業が増えた。
 親のせいで自分の人生が滅茶苦茶になったなんていうつもりもない。人よりうまくやっているほうだとは言わないが、ともかくどうにか生きていけてはいる。
 女の幸せ、という言葉を耳にするとき、わたしはしばしばそれを笑い飛ばしてきた。漠然とした言葉のようでいて、その意味するところはあんがい単純だ。恋愛、結婚、出産、子どもの成長……わたしはそのどれにも縁がない。思えばわたしは何をしても、ひとつも母に敵わなかった。顔も、男を捕まえるのが下手なこともそうだし、家事だってあんなにきちんとやれない。とうとう出産にも育児にも縁のないまま終わりそうだし、規則正しい生活なんて、いまや遠い別世界のしろものだ。そうしたことを世間様にだらしないと思われようが、殊勝なふりもせずに開き直ってしまう。
 だけど、それがどうだというのだ。母を見てみるといい。人が女の幸せというものを一通り手にしておきながら、あんなふうに逃げ出さざるを得なくなったではないか……。
 だからこんな話をいまさら引っ張り出してきたのは、母に自分の人生の責任を押しつけたかったからではない。何よりいいかげんこの年になれば、幸も不幸もほとんどが、自分自身の行動の報いだろう。
 それなのに、なぜいまさらこんな話を蒸し返しているのかというと、昨日になって、一通の封書が届いたからだ。
 昨夜、いつものように残業を終えて帰宅すると、郵便受けの中にめずらしく、チラシ以外のものが入っていた。
 コンビニや百円ショップで置いているような、何の特徴もない茶封筒だ。八十円切手の上の消印は、肝心な部分が掠れてしまって、どこで出されたものなのかはわからない。
 差出人は書かれていない。だが宛名の几帳面な女文字に、見覚えがあった。
 その封筒を開けることがどうしてもできなくて、昨日はまんじりともせずに夜を明かした。あげく今日はとうとう会社に連絡を入れ、仮病まで使って休んでしまった。睡眠不足のせいで、さっきから頭が痛み出している。もう徹夜して平気でいられるような齢ではないのだ。だが眠れそうにはない……
 わたしは何にこだわっているのだろう。さっさと開けて、読んでしまえばいいのだ。いまさら母がどこで何をしていても、わたしにはもう関係のないことだ。もし中に不愉快なことが書かれていれば、燃やして忘れてしまったっていい。
 頭ではそう思うのに、どうしても鋏を入れることができない。
 母は少なくともどこかで生きてはいたのだ。そう考えてみても、自分がそれを喜んでいるのかどうか、よくわからなかった。

 父の死んだとき、誰から連絡のいったものか、母の友人だったという人がたずねてきた。困っているのではないかと思って――そう言った女性は、母よりずっと若々しく見えたが、きけば母と同い年だった。同じ会社で働いていたのだという。同期で、姿を消す直前までおなじ部署に所属していた。父とも何度か会ったことがあるという。
 葬儀のあいだ、細々としたことを手伝ってくれながら、その人はときどきふっとわたしを見て、懐かしむような顔をした。わたしの容姿は両親のどちらともあまり似ていないのだが、それでもなにか、思い出させるようなところがあったのだろうか。
 その人が何気なく話した昔話の中から、ぽろりと転げ落ちるように、あのきれいな顔をした母の彼氏が、母のかつての部下であったことを知った。あの騒ぎの少しあとに退職したらしいということも。
 その事実は間違えて噛んでしまった砂のように、わたしのなかにおさまり悪く、いつまでも居座った。その話は、やはり母はあの男と一緒に逃げたのだということの裏付けにもなったが、そのこと自体はいまさらといえばいまさらだった。それよりも、ふたりが仕事仲間だったということのほうが、やけに引っかかった。
 同僚であったから、何がどうというわけではない。ただ、そう、わたしが知らないことが、ほかにもたくさんあったのではないかと、そう思ったのだ。
 いくらなんでも二週間かそこらで恋人を、それもあんなにいい男をどこからか捕まえてくるなんて、あんまり早いと、わたしは確かにあの頃そう思っていたのではなかったか。もともと知り合いだったのなら、それも不思議ではない話だった。
 父の不倫がすべての発端だったと、わたしは思っていた――いまでも思っている。ただ、こんなふうに考えることもできるのではないだろうか。父の浮気が発覚するよりももっと前から、母とあの男は、恋愛関係にあったのだと。どの程度の間柄であったかは、わからないけれど。
 そう考えると、納得がいくような気がすることもあるのだ。そうでなければ、一年ばかり付き合っただけの相手と、駆け落ちめいたことまでするだろうか? 学生ではない、それなりの立場もある社会人だ。
 もしその考えのほうが当たっているのなら、母はずいぶんうまくやったということになる……

 母はいま、幸せなのか、ふしあわせなのか。
 わたしはそのどちらを願っているのか。
 この封筒を開ければ、その答えが中に書かれているのだろうか。
 いまさら答えなど、欲しくはなかった。開けずに燃やしてしまおうかと、何度となく考えて、実際に何度かはライターを手に取りもした。けれど結局はそれで煙草に火をつけて、気持ちを落ち着かせようと一服しては、また封筒に視線を落として竦んでしまう。気がつけば灰皿が吸いさしであふれかえっている。
 そうして何ひとつ前に進まないまま、気がつけばもう日が暮れようとしている。部屋の窓を開け放したままだったことに、ようやく気がつく。カーテンを揺らして入ってくる風は、夏の名残りをはらんで重く温い。
 窓を閉めてソファに戻ると、古くなったスプリングが軋んだ。封筒はすっかり皺だらけになってしまっている。目を閉じて、天井を仰ぐ。冬の病室で見た母の青白い顔が、瞼の裏の闇にちらついている。

 
 

(終わり)
拍手する



  小説トップへ 

inserted by FC2 system