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言いたいことはそれだけか、と彼はいった。突きつけられた銃口よりも、感情の含まれないその声音に、ぞくぞくするような震えが背中を走る。 とっさにこみ上げてきた熱い感情に、胸の奥のどこかで、回路が焼き切れるような感触がする。このクソったれで、ポンコツの、イカれた感情回路。不完全で不可解で非効率的で、道理に合わない指令ばっかり出してくる、不恰好な機械のハート。 でもそこがいいの。 あたしはにっこりと微笑んで、両手を広げる。そして、視線を通じて魂を注ぎ込もうとするように、ダンの薄いブルーの瞳を、まっすぐ見つめる。返ってくるのは揺らぎのない、冷えた視線。ああ、素敵。自分の内側にじわりと広がる、その熱におののく。どうしてこう、あたしの回路はおかしな反応ばっかり寄越すのかしら。 「ええ。……いえ、もうひとつだけ。今日もとっても素敵よ、ダニー・ボーイ」 ダンの唇の端が、厭そうに下がるのを、たしかにこの目に見た。かすかに顰められた眉間のしわ。長い指が、グリップにしっくりとなじんでいる。もう可愛いダニーじゃない、りっぱな、一人前の男。あたしがついてなくても、もうだいじょうぶ。 静かに、引き絞るように握りこまれる指。ブレない照準。あたしが教えたことはパーフェクトにできている。とってもおりこうさんのダニー・ボーイ。小さなころから出来がいいって誉められるたびに、いまみたいにちょっと眉根を寄せて、いやそうな顔をしたわね。可愛いダン。あたしに悔いはないわ。 その真黒な銃口の奥から、鉛の弾丸が吐き出されて、あたしの喉に迫ってくるのが、スローモーションのように、ゆっくりと見える。人間だったら、走馬灯が走ってる頃かしら? けれどそんなロマンティックな話じゃなくて、鉛弾なんてもとから止まって見える。それくらいの処理速度は、標準仕様。いくらロートルだからって、あたしはまだそれほどのポンコツじゃない。 だから鉛弾の一発くらい、よけようと思わなくたってよけられる。けれど、あたしは足を止めている。途方もない努力を払って、止めたままでいる。製造当初から組み込まれている、このアタマの中の戦闘マクロが、自動制御モードで弾道から機体をそらせて、ダンに反撃しようとするのを、意思の力で抑えている。 自分のアタマの領域の中にある戦闘ルーチンを、かたっぱしからブロックしつづける。途方もない数のエラーと警告メッセージが、カメラ・アイとは別のところで見ているもうひとつの視界を、すごい勢いで過ぎっていく。ああ、サイバーテロは本業じゃないけど、それにしてはあたしったら、なかなかの手際なんじゃない? (どうして裏切ったのかと、あなたは訊いたわね? なんでビリーを殺したのかって。彼はいい上司だった。あなたが怒るのも、わかる気がするわ) あたしは自分の中のプログラムと戦いながら、その合間にタスクを組んで、最後の通信をダンに送る。ダンの腕に嵌められた端末まで、ちゃんと届くかしら? でも、そうね、間に合わなかったら、それでもいいわ。 (いま答えてあげる。ああしなければ、あなたが殺されていたからよ。あの男は、あなたを嵌めて、任務中の事故に見せかけて、殺すつもりだった。ぜんぜん気づいてなかったのね、ダニー・ボーイ。あなたは優秀だけれど、ほんのちょっぴり、ひとを信じすぎる) ダンはまだ、あたしの言葉に反応しない。それはそうだ。圧縮通信はまだ、かろうじて彼の端末に届いたかどうかといったところだし、仮に受信が間に合ったとしても、人間の脳の処理速度では、弾丸があたしの喉を(唯一の弱点としてわざと脆弱に設計されたそこを)突き刺すよりも前に、全文を読んで反応するなんて、そんな離れ業は無理。だからこれは、あたしからの一方的なメッセージ。 鉛弾はまだ、あたしの前方二メートルくらいのところをゆっくりと迫ってきている。ダンの表情は変わらない。かすかに眉を寄せたまま、唇を引き締めて、ちょっと厭そうだけど、それでもその瞳は冷静そのもの。感情に流されてはだめよと、あたしは何度、あなたに向かっていったかしら。でも、もうそんなお小言は必要ないのね。 ちょっと寂しい、かしら。タスクのあいまに、自分の感情回路を覗き込んでも、その感情曲線の揺れは微細すぎて、たしかには読み取れなかった。 (勘違いしないでね。恨み言なんかじゃないのよ。あたしはこれでいいの。ちゃんとした理由があったって、アンドロイドが人間を殺して、処分されないはずがないもの。薬品臭いラボの奥で、味気ない最後を迎えるくらいなら、あなたの手で壊されるほうが、ずっといい) 飛んでくる弾丸の、表面についた施条痕が、くっきりと見える。その向こうで、ダンは姿勢を変えようとしている。この目にはゆっくりに見えるけれど、生身の人間としては奇跡的にすばやく、滑らかな、完璧な体重移動。あたしが避けないなんて、まさか思っていない。 そういえば、ロボットの幽霊っているのかしらね? そう訊いてみたい気がしたけれど、これは、通信波にはのせないことにする。古い映画の見すぎだって、あなたは笑うだろうから。 もし本当にいるとしたら、どんな感じなのかしら。透明人間みたいに、姿も見えず、声も聞こえない、ぼんやりしたものになるのかな。そんなものでもいいから、もし意識の欠片なりと残るんだったら、もう少しのあいだ、あなたのことを見守っていたいのだけれど。 (ねえ、あたしの可愛いダニー。あなたはあたしに幸せをくれた。プログラムされたAIにも、幸福を感じる機能があるんだって、あなたが教えてくれたのよ) 弾丸が、ゆっくりと喉に突き刺さろうとしている。ダンの射撃の腕のたしかさを感じた瞬間、すべてのプログラムに割り込んで、腹の底から湧き上がる歓喜の思い。それを一瞬で押しつぶして、機械の脳ミソに組み込まれた自己保存本能が、けたたましい警告メッセージを送ってくる。怒涛の勢いでスタートしかかる何千という戦闘ルーチンを、かろうじてすべて、押さえ込む。喉の、もろい装甲が、熱に溶けてゆっくりとひしゃげていく。 (あなたの幸運を祈っている) 最後の送信は、間に合っただろうか。目の前に散るスパーク。ブラックアウトしていく視界の中で、ダンの瞳が苦しげに揺れるのを、あたしはたしかに見た。
(終わり)
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お題:「言いたいことはそれだけか」「透明人間」「道理」